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「ブラツバキVol.10 旧東海道を歩く 品川から大森・羽田~京急と共に」 に参加しました。集合は 10時に京急の北品川駅。大井町線の大井町駅から歩いて合流しました。総勢30名あまり。主催の椿さんの持札、旧三業地がメインです。 |
台風15号の強風の跡が残る東海道線沿いに歩くと、碑文谷ガード。品川から碑文谷への道があったらしい。目黒川を渡り、日本地理学会で毎年発表している品川女子学院の脇を抜けると北品川駅。 |
椿さんプロみたい。映画 『幕末太陽傳』 の舞台はこのあたり。色街テーマだと女子が多いのは気のせいか。 |
鯨塚から、御殿山下台場跡、正和稲荷大明神。 |
電柱の番札に残る三業地の痕跡。芸妓屋(置屋)+料理屋の営業許可地区は二業地、+待合で三業地。 |
荏原神社。社殿は弘化元年(1844年)建造。氏子区域は、東品川、南品川など。 |
目黒川右岸にあった荏原神社は、川の付替えで左岸に変わりましたが氏子は右岸。 |
京急に乗り新馬場駅から立会川駅へ移動。東京湾に面した風光明媚な大井三業地。料亭はマンションに変わりました。地図下部、東西に延びるのは大森駅からの大森支線。品川駅までの延伸前は京急の東海道線への連絡線。1937年(昭和12年)廃止。 |
昼食はいすゞ自動車の工場だった大森ベルポート。ベルは "鈴" から。取り壊された料亭の奥に姿を表した古い家屋。磐井神社の摂社、海豊稲荷神社の玉垣? には多くの料亭が。 |
再度京急に乗り穴守稲荷駅。鈴木新田の潮除守護神として江戸期に勧請。1945年、GHQによる羽田空港拡張のため強制退去。 |
多摩川左岸、昔の羽田猟師町。五十間鼻無縁仏堂、玉川弁財天、水神社。漁師町は、祀られる神様が多い。レンガ造りの堤防。弱々しいですが、埋まっている根っこ部分は広がっているようです。大師橋の親柱が残る羽田の渡しで、反省会へ向かうみなさんから離脱。 |
日没間際に西の空が晴れる。川崎駅までの土手道は殊のほか長かった。 |
歩き 16.9km (ブラツバキ前後を含む) |
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