生田緑地の北面、多摩川氾濫平野への北斜面にある生田長者穴横穴墓群。7世紀の墓で30基以上見つかった。奥行きは3-6mとのこと。 |
廃道? 地理院地図では現役だが。稲田登戸病院への道だったらしいとのことで、航空写真で地勢の遷移をたどってみました。 |
1941年(日本陸軍):尾根に数件の家屋が見える。今の生田緑地は森林でなくおそらく草原と灌木の丘陵地だったもよう。 |
1948年(米陸軍):尾根の建屋は変わらず。稲田登戸病院の開院は1949年。現在、住居が密集している飯室公園の北西に、庭付きの戸建群ができている。米軍関連かも。 |
1955(米陸軍):病院の建屋が増えている。結核患者用の隔離病棟か? |
1961年(国土地理院):さらに増設。正面入口らしきロータリーが見て取れる。 |
1979年(国土地理院):尾根の突端へも増設。ロータリーと思ったのは給水塔だった。西側の谷戸は盛土され駐車場となっている。飯室公園の北西の庭付きの家屋群は区画が分割されている。 |
2009年(国土地理院):2006年に閉院となった跡。稜線の建屋は撤去され、西斜面は2021年の稲城ありがた山状態。稜線西下に残るビルも病院と思われる。 |
2019年(国土地理院):東斜面も元の斜面を復元。廃道と思われた道路は、ここで現れる。稜線西下は、2018年建築の Brillia 向ヶ丘遊園。地権者が稲田登戸病院の借地延長を認めなかったのは、この土地を売りたかったためか? |
13.7km |
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