| この12年で、琵琶湖疏水の取入口から三栖閘門で宇治川に合流するまで、概ねたどった気がします。流れに沿って整理してみることにします。 |
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2014/5/3 大津の取入口から第一トンネル呑口(東口)。トンネルの扁額「気象萬千」は伊藤博文揮毫。 |
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2002/1/5 2002年の画像はエプソンの81万画素。 山科の諸羽トンネル吐口(西口)から天智天皇稜、第二トンネル呑口、扁額「仁以山悦智為水歓」は井上馨揮毫。第二トンネル吐口。扁額「随山到水源」は西郷従道揮毫。 |
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2002/1/5 日本最初の鉄筋コンクリート(RC)橋。第3トンネル呑口、扁額「過雨看松色」は松方正義揮毫。日向大神宮から御所水道ポンプ室。 |
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2002/1/5 蹴上インクライン。粟田口隧道のねじりまんぽ、扁額「雄観奇想」は北垣国道揮毫。 |
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2014/5/3 蹴上インクライン跡は、新しい写真も。 |
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2014/12/1 岡崎から聖護院。京都市水道疏水事務所から宇治川分水口。 |
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2014/12/2 東海道線を南にくぐり、疏水を "いちのはし" で渡る。前方はJR奈良線。 |
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2014/12/3 墨染(すみぞめ)。ここもインクラインがあった場所ですが、後から知りました。ここで、新高瀬川に分水し、疏水は濠川と呼ばれるようになります。橋柱には、濠川や堀川と書かれていました。 |
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2014/12/3 ほとんど枯れ川となっている高瀬川と合流する伏見は大型船から高瀬舟への積み替えが行われていました。ちなみに、舟が先。高瀬舟にちなんで高瀬川と命名したとのことです。 |
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2014/12/3 最後は三栖閘門で唐橋から瀬田川として流れ出る宇治川と合流し、琵琶湖の水は再度一緒になります。 |
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ルートラボでの水路の長さは 22.1km。 開渠部で歩いて(走って)ないのは、山科駅の東の 1Km ほどです。 |
| 京都最終日。深草の宿を出て、先ず師団道路を南下。かつては、ホテルが建っているのは京都練兵場で、野砲兵第二十二聯隊、輜重兵第十六聯隊と続いていました。 |
| 信号待ちで右手を見ると「撞木町廓入口」(しゅもくちょうくるわ)の石柱。大石内蔵助が敵を欺くために遊興し計を練った遊郭跡で、コアな忠臣蔵マニアが訪ねてくるとのこと。何気に、何かがあるのが京都。 |
| 琵琶湖疏水末端の伏見の堀川(濠川)に沿って伏見湊へ。かつては、宇治川水運と高瀬川、琵琶湖疏水(鴨川運河)のハブ港でした。 |
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伏見は京都とは別の街で、土佐藩、薩摩藩、長州藩の藩邸がありました(いずれも案内石柱のみ)。旅籠寺田屋(跡地は右の庭)。日本酒の工場が建ち並んでいます。 三栖閘門(みすこうもん)資料館では、治水関連の面白い話を伺うことができました。 |
| 新高瀬川合流点では、宇治川の水位が低く新高瀬川との往来が出来ないことがわかります。宇治川を下っていますが、前方には狭窄部が見え、雰囲気的には上流へ向かっている感じです。 |
| 淀大橋で宇治川を左岸に渡り、次いで木津川を御幸橋で越え、民家の中の道を石清水八幡宮へ。ここ八幡(やわた)市と読むことを初めて知りました。 |
| 4日前に Red Bull Holy Ride が駆け下りたのはここ。官幣大社の表参道で MTBレースを行うなんて、神社の間口の広さに感心します。 |
| 時間が押していますが、追い風に乗って宇治平等院へ。昨年来た時は改修中だったので、初めて(たぶん)見ることになります。もう、終わりと思っていた紅葉が、真っ盛りでした。これは、大きなサプライズ。(紅葉画像は稿を改めて) |
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ゆっくりしたいところですが、新幹線に乗る前に、いつも大行列であきらめている京都駅東塩小路の「本家第一旭」へ行かねばなりません。4時過ぎに着けば、行列もないでしょう。昼飯を抜いて万全の構えです。 黄檗(おうばく)、木幡(こわた)を越え、桃山からは京町通を北進、竹田街道で京都駅着。跨線橋を渡り塩小路へ。 |
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48.70km、3:23 |
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京都は至るところで、旧跡に遭遇します。位置関係を面的に体感したいので、幹線道路である堀川通、今出川通、河原町通、五条通に囲まれた中心部の南北の通りを網羅的に走ってみました。 目指せ、京都の土地勘ってところです。 |
| 宿を出て西本願寺の北を堀川通へ。まだスタート前ですがいきなり西本願寺太鼓楼。新選組が最盛期に屯所を構えていた所です。片側2車線の堀川通を越え、先ずは油小路通へ。 |
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<油小路通> 10月に泊まった京都国際ホテルの裏を行きます。ここ、二条城から100mも離れていませんが、普通の商業住宅地です。今出川通を越えると白峯神社。東西に走る上立売通で道がなくなり、小川通に転じます。 |
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<小川通> 「都市改造による新道として生まれたのが小川通」とのことですが、この都市改造は天正18年(1590年)。 初代上京区役所跡、本能寺跡があります。今の本能寺は寺町御池にありますが、本能寺の変が起きたのは、この場所です。油小路通側に大きな碑があるらしいですが、気づきませんでした。 |
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<西洞院通>(にしのとういん) 東西に走る御池通には、交差する南北の通りの案内があります。西洞院通は、途中京都府庁の旧本館にぶつかります。 |
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<新町通> 京都府庁旧本館は、博物館ではなく現役庁舎の一部でしたが、旧知事室が公開されていました。呉服屋が多い通りです。 |
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<室町通> 今出川通との交差点に「足利将軍室町第跡」の碑が建っていました。 |
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<烏丸通> 幹線路の烏丸通を200mほど走り、京都御所へ。ただ、その間の同志社大図書館前にに薩摩藩邸。御所の中の標識は、理解が難しかったですが、自転車は可のようです。 |
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<東洞院通>(ひがしのとういん) これからは、御所で折り返します。一方通行を逆走(自転車は可)し南下。日本で最も早い一方通行規制は、この通りから始まったそうです。中京(なかぎょう)郵便局は、外壁を残した改修(ファサード保存)が行われています。 |
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<高倉通> 仏光寺をよけて北上。京都文化博物館別館は、旧日本銀行京都支店。国の重要文化財です。 |
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<堺町通> 堺町御門から延びるのは堺町通。イノダコーヒー本店があります。錦小路のアーケード横、大丸京都店の至近にあるのは錦湯(銭湯)。洋食屋「ますや」で昼食。意外ですが、観光地でない京都の飯屋は東京より安いです。 |
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<柳馬場通>(やなぎのばんば) 万寿寺通柳馬場の有隣公園。「防犯カメラのまち有隣」って、何でしょうか。日本生命京都三条ビル旧棟(旧日本生命京都支店)、ここもファサード保存。御所ちかくには京都ハリストス正教会。 |
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<富小路通>(とみのこうじ) 御所南の京都簡易裁判所横から延びる通り。公家の富小路家があったらしい。 |
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<麩屋町通>(ふやちょう) 高級旅館の並ぶ麩屋町通。スティーブ・ジョブズの定宿だったのは俵屋旅館。向かいは柊家。俵屋旅館の隣が建築中で、横から見えましたが普通の建屋でした。内庭、内装は想像がつきません。 |
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<御幸町通>(ごこまち) 難読地名です。竹細工に使うのでしょうか、青竹を並べている商家がありました。京都市学校歴史博物館の門は、日本最初の学区制小学校のひとつである開智小学校のものが使われています。 |
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<寺町通> ここは前日に走り(商店街は押し)ました。東京銀座の地価基準地で有名な鳩居堂の本店は、ここにあります。一方、寺町にある本能寺は移転後のもの。 |
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<河原町通> 何度も走ってる河原町通ですが、今回初めて坂本龍馬、中岡慎太郎が殺された近江屋跡へ。 |
| 最後は、岬神社(土佐稲荷)から木屋町通へ転じ、土佐藩邸跡。「吉例顔見世興行」が始まった南座から鴨川左岸を走り、師団道路で深草の宿へ。 |
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45.98km、4:21 |
| 雨模様の日。朝は歩きで東寺へ。ホテル裏の路地の地名は、下松屋町通丹波口下る突抜1丁目。 |
| 平安高校の正門で掃除してたオヤジと「衣笠って、ここ出身ですよね」とかの雑談。で、早朝の展示コーナーを見学させてもらいました。春の選抜に優勝したことは知らなかったので、「最近は見てなくて」と言い訳。実は、野球は昭和までなんだが(汗) |
| 東寺は、元祖フリマの弘法市が有名なので世俗的なイメージを持っていましたが、国宝、重文が多数ある5つ星寺院でした。 |
| 朝食後、清水寺へ。紅葉は終わった感じです。小雨の平日でこの人出ですので、真っ盛りはラッシュアワー並だったかも知れません。 |
| 清水寺から八坂。 |
| 大谷祖廟まで来ると、ひっそりしています。 |
| 改修中の知恩院三門。足場は木で組んでいました。 |
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22.41km |



























































