京都は至るところで、旧跡に遭遇します。位置関係を面的に体感したいので、幹線道路である堀川通、今出川通、河原町通、五条通に囲まれた中心部の南北の通りを網羅的に走ってみました。 目指せ、京都の土地勘ってところです。 |
宿を出て西本願寺の北を堀川通へ。まだスタート前ですがいきなり西本願寺太鼓楼。新選組が最盛期に屯所を構えていた所です。片側2車線の堀川通を越え、先ずは油小路通へ。 |
<油小路通> 10月に泊まった京都国際ホテルの裏を行きます。ここ、二条城から100mも離れていませんが、普通の商業住宅地です。今出川通を越えると白峯神社。東西に走る上立売通で道がなくなり、小川通に転じます。 |
<小川通> 「都市改造による新道として生まれたのが小川通」とのことですが、この都市改造は天正18年(1590年)。 初代上京区役所跡、本能寺跡があります。今の本能寺は寺町御池にありますが、本能寺の変が起きたのは、この場所です。油小路通側に大きな碑があるらしいですが、気づきませんでした。 |
<西洞院通>(にしのとういん) 東西に走る御池通には、交差する南北の通りの案内があります。西洞院通は、途中京都府庁の旧本館にぶつかります。 |
<新町通> 京都府庁旧本館は、博物館ではなく現役庁舎の一部でしたが、旧知事室が公開されていました。呉服屋が多い通りです。 |
<室町通> 今出川通との交差点に「足利将軍室町第跡」の碑が建っていました。 |
<烏丸通> 幹線路の烏丸通を200mほど走り、京都御所へ。ただ、その間の同志社大図書館前にに薩摩藩邸。御所の中の標識は、理解が難しかったですが、自転車は可のようです。 |
<東洞院通>(ひがしのとういん) これからは、御所で折り返します。一方通行を逆走(自転車は可)し南下。日本で最も早い一方通行規制は、この通りから始まったそうです。中京(なかぎょう)郵便局は、外壁を残した改修(ファサード保存)が行われています。 |
<高倉通> 仏光寺をよけて北上。京都文化博物館別館は、旧日本銀行京都支店。国の重要文化財です。 |
<堺町通> 堺町御門から延びるのは堺町通。イノダコーヒー本店があります。錦小路のアーケード横、大丸京都店の至近にあるのは錦湯(銭湯)。洋食屋「ますや」で昼食。意外ですが、観光地でない京都の飯屋は東京より安いです。 |
<柳馬場通>(やなぎのばんば) 万寿寺通柳馬場の有隣公園。「防犯カメラのまち有隣」って、何でしょうか。日本生命京都三条ビル旧棟(旧日本生命京都支店)、ここもファサード保存。御所ちかくには京都ハリストス正教会。 |
<富小路通>(とみのこうじ) 御所南の京都簡易裁判所横から延びる通り。公家の富小路家があったらしい。 |
<麩屋町通>(ふやちょう) 高級旅館の並ぶ麩屋町通。スティーブ・ジョブズの定宿だったのは俵屋旅館。向かいは柊家。俵屋旅館の隣が建築中で、横から見えましたが普通の建屋でした。内庭、内装は想像がつきません。 |
<御幸町通>(ごこまち) 難読地名です。竹細工に使うのでしょうか、青竹を並べている商家がありました。京都市学校歴史博物館の門は、日本最初の学区制小学校のひとつである開智小学校のものが使われています。 |
<寺町通> ここは前日に走り(商店街は押し)ました。東京銀座の地価基準地で有名な鳩居堂の本店は、ここにあります。一方、寺町にある本能寺は移転後のもの。 |
<河原町通> 何度も走ってる河原町通ですが、今回初めて坂本龍馬、中岡慎太郎が殺された近江屋跡へ。 |
最後は、岬神社(土佐稲荷)から木屋町通へ転じ、土佐藩邸跡。「吉例顔見世興行」が始まった南座から鴨川左岸を走り、師団道路で深草の宿へ。 |
45.98km、4:21 |
すごいですね・・ほとんど絨毯爆撃ですね。目指せ!京都全通り走りつぶし!?(笑)
わたしが京都にはまったのは、Hさんの「仁和寺裏の名も無い峠が・・・」の一節です。おっさんのゆるポタが、和辻哲郎になっちゃうんだから、京都の魔力はすごい。