(地図でみる西日本の古代 より)
今日の種本は、「地図でみる西日本の古代」(平凡社)と「古代吉野川下流域の条理と交通路」(鳴門教育大学研究紀要)です。
律令期の条里制に沿った経路が、けっこう残っているとのことなので、国府周辺を走ります。
この辺りは古墳も多く、阿波史跡公園や徳島市立考古資料館がありますが、律令期も阿波の中心地で国府、国分寺、国分尼寺があった場所です。
(上)大御和(おおみわ)神社から国分尼寺跡への直道。条里地割の余剰帯がまっすぐ続く。
(左)国分尼寺跡。
(右)現国分寺に移設された国分寺七重塔心礎。
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後半は、神山の旧道を走ります。山奥へ行くわけではないので、紙の地図も地図画像も持たずに走ったのが失策。iPhoneの電波が山中ではほとんど入りませんでした。
現在地がずっと不明でしたので、帰ってから走った道を確認するはめになりました。
まずは、県道207 大桜トンネルの旧道です。ここは、地図に道は載っていませんが、下から見た感じでは人家もいくつかあり、越えられそうなので登坂します。
梅は6分咲き、桜(?)は8分咲き、峠には神社と剣山遥拝所がありました。地元の人が大切に保持しているようです。平成まるゴシ体の新しい標識「大桜越え」がありました。
峠を下りると阿波エンジニアリングの大きな工場があり、その後すぐに大桜トンネルの西側に出ます。
鬼籠野方面へ進み、獄門峠(名前は恐そうですが、これも平成まるゴシ体)を越え、喜来の集落に入ります。おばさんに道を聞くと佐那河内へ抜けられるとのことなので、そのまま進みます。府能トンネルをバイパスできるかも知れません。
不安になってきたころに稜線が開き、眼下に集落が見え、ひと安心。下っていくと1月にやまさんと走ったR438旧道に合流し、ようやく現在位置がわかりました。
62.5Km。
神山の峠にデビューですね.
大桜越えの桜は蜂須賀家藩主が花見に通った場所だとか.
地図を持っているとかえって走らない経路では.黒河集落を過ぎてからは寂しい登りだったと思います.
よく判らないまま走ったので、いきなり現れた、阿波エンジには驚きました。帰宅後「大桜越え」を検索するとsmakさんのサイトが上位に。
鳴門教育大学研究紀要は、教えていただいた図書館で読むことができました。この図書館、開架で古い地図集成が見られるので、ちょっとパラダイスです!!。
>黒河集落を過ぎてからは寂しい登り
ここも走ってるんですね。杉の植林地とかで、道がなくなっておしまい、
となるのではないかと不安でした。