不思議なつながりで、日本都市計画家協会 中越震災復興プランニングエイド の、法末地区活動拠点「へんなカフェ」に遠征しました。 2004年10月23日の新潟県中越地震では、法末でも棚田崩壊などの被害を受けましたが、その後の高齢化の進行と人口減少への対策を含め中山間地再生計画が進められています。 「へんなカフェ」では、プランニングエイドのメンバーと地域の人達が一緒になって、農作業体験講座や星座観察などの自然体験学習を行っています。 今回も、稲刈り体験会が開かれますが、わたしはここを拠点に、近隣のサイクリングを行います。 |
法末とは千曲川(信濃川)を挟んでいる山古志には、震災時の山腹崩落でできた天然ダムが形成されました。 ダムの決壊を回避するための緊急処置で取り壊された学校は移転(地図の外)し、独立建物(住居)も減少しています。養殖池や水田も、多くの場所で荒地記号に変わっています。 |
震災の記憶を留めるため、崩壊家屋が当時のままの姿で残されています。 山古志は、錦鯉の養殖の発祥の地と言われています。 『棚田に水を引くため、村人たちは横井戸を掘って山の地下水を取り出しました。 雪解けの地下水は冷たすぎるので、棚田の一番上の段に池を作り、いったんそこに水を貯めてぬるませました。 その池で食用の鯉を飼ったのが山古志で鯉を飼うようになった始まりです』(長岡市山古志支所) 錦鯉養殖の復興もかなり進んでおり、ちょうど稚鯉の品評会が開かれていました。 |
天然ダムの地形図の比較は大変インプレッシブです。
ダム湖のみならず、はじめにあった湖沼群(養殖池)は消えたのでしょうか!?
道筋も結構変わっていますね。
これほどの爪痕とは!
smakさま
わたしも、ここまで広範な山腹崩壊が起きているとは思っていませんでした。マスコミが、絵になる構図を繰り返し報道している印象でした。
天然ダムも残ったままで、水田や養殖池の多くが、復旧できずに放棄されました。