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早朝、法末の「へんなカフェ」を出発、小千谷駅から新潟駅まで輪行して、弥彦山の海側を走ります。 萬代橋を渡ってから西へ走りますが、向かい風が強く、予定の海沿いの道ではなく街中を走ることにします。法末は過ごしやすかったですが、平地はまだまだ暑いです。ラムサール条約登録の佐潟からは海岸に出て、R402を走ります。 今は整地された畑地の続く角田浜は、坂口安吾の「新日本風土記」に毒消し売りの村として記されています。 |
佐渡が大きく見えます。この越後七浦シーサイドラインは風光明媚ですが、比例して厳しい地形です。 左の画像の下部に見える、山を削った古い道路は、危険度が高そうです。 |
いよいよ、大河津分水(おおこうづぶんすい)です。地図記号に現れる土木工事はたくさんありますが、地形を変える土木工事は、めったにありません。
越後平野を信濃川の洪水から守るため、1924(大正13)年に竣工した分水路の長さは約10Km。 海に近い2Kmは、標高100m程の丘陵なので、パナマ運河風の大掘削工事が行われました。
分水路に沿って走ります。 今日は穏やかな日和ですが、洪水時の流量は激しく、河口近くの河床は15mを超える深さまで洗掘(せんくつ)されているとのことです。
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河口近くの野積橋からの海方向。 野積橋からの陸方向。洗掘が最も激しかった場所に1931(昭和6)年に作られた第二床固と副堰堤です。この狭い間に、数万個の消波ブロック沈設されています。 2000年に通水した二代目洗堰。信濃川本流への水量を制御します。90.5Km
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