青春18きっぷで由岐へ。南阿波サンラインを経て、海部まで走りました。 榎本武揚率いる幕府海軍の開陽丸 VS 薩摩藩軍艦春日丸が日本初の近代海戦を行ったのは蒲生田岬沖の伊島周辺。双方で43発の砲弾を放ったらしいが、たぶん一発も命中していない。 機関が故障した薩摩藩の運送船翔凰丸がたどり着き自焼したのは、港のすぐ沖です。 由岐から日和佐までは県道25号線。私の好きな、海岸を巻く山間の一車線道路です。美波町役場は、今も日和佐御陣屋跡にあります。 1988年まで有料道路だった南阿波サンラインは、昭和テイストの観光道路です。2車線ですが交通量がきわめて少なく、専有状態でした。 浅川にある徳島県最大の自然湖沼「海老ヶ池」は潟湖(ラグーン)なので期待していましたが、鳥瞰できる場所が見つからず、ちょっとがっかりです。 |
54.06km |
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半月前、横浜で会った や まさんと、今日は蒲生田岬方面へ。デポ地の那賀川まで車に乗せてもらい、まず県道24号線を南下。 目的は伊座利カフェ再訪ですが、途中の伊座利峠から蒲生田岬の稜線の南を明神山へ。最後は押しで、441.60mの一等三角点のある明神山。北は火力発電所のある橘湾、西は四国山塊剣山、南は伊座利。 峠に戻り、椿の咲く道を伊座利漁港まで一気に下ります。伊座利カフェは今日も繁盛。サイクリスト比率も高く3テーブル占めていました。 復路は、椿湾にそそぐ唯一の川、椿川沿いの県道200号線を溯上。湾奥にあるこの川は、安政南海地震では津波が河口から1.3km上流まで達したとのことです。 低い峠を越え、福井川水系へ。ランドナー向けの道が続きます。 次いで、県道284号線を桑野川へ抜けます。このあたりの県道は遍路道と言っていいほどの狭い道ですが、や まさんの案内で、縫うようにたどって行きます。 人の手の入った竹林はみごとな景観ですが、うまく写真を撮るのは難しすぎます。 |
76.36km |
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徳島へ帰省中。実家用となった KHS F20-T2 のブレーキシューを交換し、北灘経由大坂峠へ。 早い昼食は、北灘のびんびやで食べましたが、ん~、平凡。 海沿いは強い向かい風でしたが、大坂峠はいつものように穏やかです。坂を上っているとは思えないのに高度がぐんぐん増すのは、大正期に開削された旧国道の線形のおかげです。 徳島に戻り市街は東新町を走りました。子どものころは無敵だった街一番の繁華街が、クリスマス前の日曜日でもこの惨状です。 |
62.61km |
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KHS組のJohnsonと多摩センター方面へ走りました。 鷺沼で待ち合わせ、尻手黒川通りを西へ。柿生から片平川をつめ、黒川経由都県境を越え馬引沢を乞田川へ下って行きます。 昭和30年代までなら、多摩丘陵の沢の奥まで延びる狭い田んぼに沿った狭い道ですが、多摩ニュータウンの造成に伴い、すっかり住宅地になってます。 |
多摩市、稲城市、川崎市の境で休憩。 |
多摩市役所は、幹線道路から離れた不便な位置にありますが、多摩村役場のころは、桑畑をぬう唯一の道路に面していました。 ちなみに旧多摩村は多摩市、旧多磨村は府中市です。 |
37.67km
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単純だが、”集まって楽しい” のが長く続く秘訣です。
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大山の紅葉はピークかも、と言うことで2週間前に登山で来た大山方面へ。バスは臨時便も出てますが自家用車も多く、大渋滞です。 紅葉は・・、栗駒山や房総の養老渓谷と比べると、あまり大したことない。長居はせずに蓑毛へ抜ける浅間山林道へ。来迎院下の駐車場内にある分岐から伊勢原秦野の市境へ向けて上っていきます。一転、自動車ゼロ、ランドナーが似合う道です。 |
稜線あたり。路面をおおっているのは杉の花弁でしょう。人によっては、見るだけで危ないかも。 全山紅葉とはならない訳ですね。 |
視界が開けると、予期せぬ高みに富士が見えてきます。やはり不二だわ。 |
林道は蓑毛バス停前へ通じています。裏ヤビツから宮ケ瀬がよぎりますが、おとなしく名古木へ下ることにします。 帰路、いつもの矢倉沢往還を走っていると変わった自販機が目に入ります。由来や目的を説明して欲しいです(笑) |
100.77km 、走行時間 5:15 |
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KHS仲間の Johnson と根岸方面へ。カナダから来て日吉の博士課程の彼ですが、旧版地図や風景再現も専門際なので、自転車以外の会話も楽しみです。 先ずは、Johnson の先導で旧綱島街道を横浜方面へ。 |
東神奈川からは、私の先導で旧東海道・・、のはずが全く違う第一京浜へ(汗) 旧東海道は、次の機会にしましょう。昼の伊勢佐木町を抜け、目的地の根岸森林公園へ。 |
根岸競馬場は、幕末の1866年、横浜の外国人居留地における娯楽施設として建設された古い施設で、明治期の迅速測図にも記載されています。 現存の観客スタンドは、1930年に建設されたものです。 Johnson はブルホーンの F20-R 。ドルフィンの前を走ったので飯を食おうと誘いましたが、当然、無反応。育った国だけでなく世代も違う。"山手のドルフィン" に反応するのは、おっさん、おばさんだけですわ。 |
Google Earth を使って地形図(1906年)に走ったルートを重ねてみました。周回道路の内側の、狭い駐車場などが続くエリアが走路跡のようです。 |
61.85km 、走行時間 3:52 |
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Facebookで知った今尾さんの講演会。小金井市の催しなので、本来なら気付きませんがSNSの効用で聞きに行くことができました。 久しぶりにMTBで出かけます。元は高級車ですが、すっかり買い物車となっていてます。 行きは旧甲州街道を走り多磨霊園へ。著名人としては、東郷平八郎、山本五十六でしょうか。高知県大豊出身の山下奉文の墓には安岡正篤の長文の顕彰碑がありましたが、墓誌は西暦表記でした。 |
中央線をくぐり浴恩館公園にある浴恩館(小金井市文化財センター)へ。今尾さん、人柄を感じさせる丁寧な説明です。 |
国分寺崖線を下り、野川沿いに帰ります。ルートラボの高低図にも崖線と多摩丘陵の襞が如実に表れています。 |
44.75Km |
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秋の好天が続きます。Lang-8(相互添削SNS)で知り合った Charles がアリゾナから遊びにきたので、20年ぶりに大山へ登ることにします。 初めて会いますが、私の書く英文の自転車ツーリング、彼の書く日本語のハイキングや夏目漱石ものを度々添削し合ってますので、気心は知れています。 新宿のホテルへ迎えに行き小田急で伊勢原、そこからバスで登山口へ。自動翻訳や電子辞書を駆使して書いている文書と違って、母語と外国語の混在する白兵戦だと、お互いなまくらぶりが半端ないです。 阿夫利神社あたり。紅葉は、まだ一部の木々に限られています。 |
「山歩く 心にいつも 火の用心」 俳句と説明しましたが、いいんだっけ。 |
若い女性のソロやグループをいくつも見かけました。山ガールのブームは本物です。 伊勢原、秦野市境の稜線まで上ると左手に富士が。 |
帰路は急な男坂を下った後、Charles のリクエストで新横浜ラーメン博物館へ。 昭和30年代を再現したという館内は雰囲気が出ていましたが、ラーメンを立て続けに食べるのは、本来の上手さを感じられなくります。 |
Charles は、落語の時そばを知っていたので、志ん生の大山詣りを送ってあげることにしましょう。 |
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ちょっとないくらいの好天。おとといの失策を取り返すべく平塚方面へ。 道を間違えた県道401号/402号の分岐は非常に分かりにくく、注意深く走ってないと見逃します。今日は予定どおり402号へ。この道、古くからの道で愛称が「かまくらみち」です。 行きたかったのが、返還が決まって遊休地となっている米軍深谷通信所。障害物がないので、富士山が眺望できます。 |
戦前から海軍の通信所ですが、1969年に泉区が戸塚区から分離した際に敷地に沿って行政界を設けました。 |
茅ヶ崎から海岸沿いを走っていると地引網のアトラクションを行なっている団体が。カタクチイワシは、速攻で昇天することを知りました。 怪我を避けるためでしょうか、子供は魚に触れさせないようです。 |
全く平でない湘南平へ。富士が大きく見えますが、朝よりは霞んできました。 |
おとといのリベンジ、平塚「御菓子司若松」へ・・・・。 <悲報> なんでしょうこれは。ネタでしょうか(涙) |
103.93km 、走行時間 5:33 |
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平塚の和菓子屋のゼリーが、その概念を根底から覆す一品であるとの情報を得て、買い出しに行きます。 直接平塚へ行くには中原街道ですが、湘南海岸も走りたいので二つ上橋から、"かまくらみち" を南下します。 |
走ったことのある道のはずですが、どうも記憶にない風景だと思ったら、県道402号と間違えて県道401号を走っていました。6kmほど、東海道(R1)を走ってリカバリ。 湘南モノレール西鎌倉の下を抜け、腰越で江ノ電を渡ると江ノ島。 |
R134を辻堂、茅ヶ崎と走り相模川を「トラスコ湘南大橋」(ネーミングライツ、1312万円/5年)を越え、平塚「御菓子司若松」へ・・・・。 <悲報> 財布を家に忘れて来ました。 これは、和菓子だけでなく昼食抜きも意味します(泣) |
当然、寄り道せずに家を目指します。 復路は「湘南銀河大橋」(ネーミングライツでなく、ただのDQNネーム) 来週行く大山が正面に見えます。 |
補給はボトルの水だけですが、平地のためかハンガーノックにはならず、ママチャリに抜かれる失態は免れました。 104.17km 、走行時間 5:29 |