台湾の山岳地帯を走っていると、ときどき「古道」の案内を見かけます。 車道となる前の徒歩道かと思っていましたが、中部横貫公路の觀雲山莊に泊まったときに尋ねたところ、その多くが清朝末期から日本統治時代に山岳原住民を統制するために作られた道とのことです。 日経新聞国際版のサイトに、よくまとめられた 特集記事 がありました。 |
太魯閣国家公園の天祥周辺にある合歓山越嶺古道は、タロコ戦役(1914年)で開削された軍用道路とのことです。観光バスや自転車乗りが走る省道8号線(この道ですら、深い渓谷沿いの険しい道)を大きく高巻く10km強の徒歩道です。 整備を終えた2008年から開放(人数制限あり。太魯閣ビジターセンターに申請)されています。 登山道ではなく移動のための道ですが、台湾の山の険しさは尋常ではありませんので、迫力十分の面白い道のようです。 (右:岩壁のキズに見えるのが古道) 山歩き好き、旧版地図好きにとっては垂涎の的。次回、行く気満々です。 |
手持ちの台湾旧版地図を探して見ると、「大里簡(1926年測図、1927年発行)」 に 「草嶺古道」の部分がありました。 これは台湾北東部の福隆から大里へ稜線を越える道で、清の時代に作られたようです。 なんと、台湾観光局のサイトに 日本語の案内 があります。 |
滅茶苦茶興味がありますが、怖くてとても歩ける気がしません!
登山道でなく、たぶん?ハイキング道なので、危険はないと思います。先鋒で、見ときます。
私も落ちそうな場所は、からっきしダメで、石鎚山は行かないことにしています。