◆三角西港 浦島屋 <2012/10/8> 2015年に「明治日本の産業革命遺産」の一つとして、世界文化遺産に登録された三角西港。事前知識が皆無だったので、明治期の港湾設備が数多く残っていたのに驚きました。小泉八雲が泊まった旅館「浦島屋」は明治38年に解体され、中国大連に運ばれました。現在の建物は1993年に復元されたもの。 |
◆岡山 下津井電鉄藤戸駅跡 <2014/3/31> 1991年に全線廃止となった下津井電鉄。藤戸駅のあった茶屋町、児島間は先行して1972年(昭和47年)に廃止されているので、廃線後すでに45年あまり。ホーム跡は異形ながらも風景に溶け込んでいます。 |
◆ベトナム鉄道ラオカイ線イェンバイ駅 <2013/10/19> ハノイからサパへのサイクリングは、連日の雨。遅れを取り戻すために、中越国境のラオカイまで輪行することにしました。駅員さんがサドルにチョークで行き先を書き、言われるままにホーム端へ押していきます。変わった自転車なので、列車の到着を待つ間、人気者でした。 |
◆スイス グリンデルワルト <2014/6/11> グロースシャイロックまで舗装路をつめ、峠からは稜線下のダートを山上湖のあるフィルストへ。正面はアイガー北壁、好天に恵まれ、素晴らしいサイクリングとなりました。 |
◆徳島 犬飼の農村舞台あたり <2013/12/23> 徳島特有の人形浄瑠璃舞台のある五王神社から、佐那河内村との境界への峠道。緩やかな丘陵ですが、みかん畑の石垣は長い年月を掛けて作られたものでしょう。 |
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琴平と言えばこんぴらさん、早起きして785段の石段を上り本宮へ。欄干に書かれた寄進者に "何某" ありました。目立つのは讃岐富士(飯野山)。 |
<琴平の建造物(その2)> 2004年竣工の金刀比羅宮緑黛殿。村野藤吾賞、日本藝術院賞の豪華受賞歴。 |
琴平公会堂。1932年完成。 |
旧金毘羅大芝居「金丸座」1835年完成、1972年移築。 |
帰路は讃岐平野南端の丘陵部を東に走り、塩江から穴吹方面へ抜けました。途中、田舎道の行列に驚くと、かまたま発祥の地「山越うどん」。温かい、かまたま大、350円 いただきました。この店構えで、駐車場200台とのこと。 |
92.571km、5h 3m |
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吉野川をつるぎ町貞光まで上り阿讃国境を三頭トンネルで抜けるルート。天候は曇り、このトンネルでは最近も死亡事故が起きており最大の難関か。 三頭トンネル全長2648m。1997年供用開始。 |
歩道の幅は80cmくらいでしょうか。トンネル内が静かな時は車道、車が走ってる時は歩道を走りました。路面はウェットです。歩道の「緊急電話」の突起に肩が当たりそうで、怖い思いをしました。 |
トンネルから4km下り「谷川米穀店」へ。米屋でなく、うどん屋です。冷たい大、温かい小+卵をいただきました。締めて480円。うどんの名店は、ロケーションと営業時間が関門になる場合が多く、ここも営業時間は11時~13時の2時間。 |
讃岐平野に入り満濃池へ。湖畔の自転車道で半周。 |
"ゆる抜き" と呼ばれる放水が6/15から始まりました。 |
田植えの時期の風物詩。 |
「谷川米穀店」の営業時間にあわせたため、目的地の琴平に早く着きすぎたので、予定外の丸亀城へ。小ぶりですが、現存12天守のひとつ。厳密には櫓(やぐら)かも。 |
総高66mの石垣は高度感抜群。 |
10km戻り琴平の橋本屋旅館へ。設備は完全に昭和ですが、女将のホスピタリティが抜群、不満ありません。写真は朝食。 |
<琴平の建造物(その1)> 琴電琴平駅 |
高灯籠(たかとうろう)1865年完成。瀬戸内海から見えたらしい。 |
JR琴平駅。駅舎にしめ縄、駅前に狛犬がいます。 |
鞘橋(さやばし)1869年完成、 |
117.31km、7h13m |
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神山の奥に BROMPTON DEPO と言うカフェができたらしい。R438(R439でもある)を奥地へ入り、下分の分岐からは R139。国道ですが、鄙びた田舎道です。 鮎喰川に架かるトラス橋。中路式ハウトラスでいいのでしょうか。 |
今日の目的地、cafe BROMPTON Depo. BROMPTONファンサイトと言うべきか、メーカーとは直接の関係はないようです。KHSも一台ありました。 |
元は、地場の材木を活かした木工小物のお店を最近改築したもので、BROMPTONのレンタサイクルあります。 |
cafeの前に神通発電所の案内があり、ちょうど見学者がいるようなので、飛び込みで仲間に入れてもらいました。 1918年(大正7年)運転開始、昭和48年に役目を終えました。 |
絵心を感じさせる鳥瞰図。町役場の人のお話しでは、神山には他にも同じ筆致の絵が残ってるとのことです。 |
発電所の社宅。 |
帰路は、明王寺のしだれ桜の前を走りました。花の季節とは別種の迫力が。 |
最後は、童学寺トンネルから R192。昨年、オーストラリアへ行った時のお土産用にネットで買った、長尾織布合名会社へ初めて行き、藍製品の説明をしてもらいました。ここ、徳島新聞に紹介されていました。 |
82.83km |
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定番の大坂峠へ。いつもは素通りする鳴門市大麻町の大谷焼工房ですが、陶芸教室を開いている大西陶器さんに寄ってみました。 |
大谷村でいい土(粘土)が採れ、蜂須賀の藩窯が置かれた。藍染に使う大甕(藍甕)をつくっていた。明治以降、藍染は衰退したが大甕つくりは続いている。高速道路の建設で粘土層が見つかり、多量に掘り出したので当分賄える。とのこと。 |
北灘漁協の食堂で鳴門鯛漬け丼。ランチタイムは11時から、着くのが早すぎました。漬けでなく、刺身だったと思います。 |
帰路の大坂峠。今回もタイムラプス撮影を行いましたが、変化なし。下はドラマチックモードでの画像。実際は、平凡な晴れでした。 |
66.73km |
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スリバチ学会群の河道歩き。今回は、北沢川の続編として烏山川がターゲット。暗渠系は初めて参加します。 世田谷の経堂駅前駐輪場まで走り、10:30 集合場所の東急世田谷線宮の坂駅へ。街乗り車になった KHS F20-T2 活躍しています。 |
世田谷八幡、世田谷城址を経て、まずは烏山緑道。このようなオーソドックスな河道歩きは、ごく一部でした。 |
昭和始めの1/10000では開渠ですが、今は暗渠になっています。法の許す限り、忠実に河道を歩きます。 |
烏山川の支流。谷戸に湧水があり小さな池になっています。ここは「経堂五丁目特別保護区」となっており、時々公開されるようです。 |
小田急線が烏山川を渡るあたり。今は複々線の高架で一気に越えていきます。高低差が判りやすい場所です。 |
UR都市機構(元の住宅公団)の希望丘団地。このあたり、住居表示は船橋、川面に船を並べて橋とした伝承が残っているようです。公園も学校も「希望丘」だらけですが、元の地名は葭根(よしね)。烏山川の水辺の湿地でしょうか。 都市機構の団地の愛称は「サンヒルズ希望が丘」 丘を強調し過ぎで、却って震え声の地名ロンダリング? 河道跡の橋の痕跡に "葭根" の文字が読み取れました。 |
川筋をたどり、最後は環八沿いの都営八幡山アパート。左から、昭和30年代、昭和末、現在。この辺りの環八は烏山川の水田跡を通っています。 |
環八横に烏山川が暗渠で残っています。都営八幡山アパートは1961年(昭和36年)竣工の古い団地で、内風呂がなく銭湯がありました(今は駐車場)。環八開通時に開業したみどりや酒店さんには、古い写真が掲示しています。エレ無し5階建てですが、当初の階段は省スペースの一方向でした。やってられないらしく、双方向の階段を増設している棟もありました。 |
17:00 八幡山駅で解散。みなさんは反省会へ向いましたが、私は自転車を停めた経堂へ。 松沢病院横には大宅文庫。滝坂道と呼ばれた古くからの道を歩き経堂の駐輪場へ。 |
自転車 29.08km、歩き 14.7km |