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相武台新戸トンネル(通称)のことですが、これだとキャッチャーでないので・・。 この辺りは何度も走っていますが、普通に走れる道とは知りませんでした。 昭和12年、陸軍士官学校が市ヶ谷から当時の高座郡座間村に移転した際、住民の利便のため、山越えの道の代わりにトンネルと掘割で作られたらしい。まだ、余裕があったころでしょうか。軍国主義じゃないよねって感じ。 明治初めの迅速測図だと台地部分は桑畑、山地部分はマツ、ナラの雑木林。今は相模原市となった新戸村の耕地、入会地だったのだろうか。 昭和32年発行1/25000 では米軍座間キャンプになっています。トンネルと掘割が接収されていたかどうかは読み取れません。 |
最近の航空写真だと、米陸軍司令部と間借りしている陸自座間駐屯地の下を、トンネルが通っています。 |
往路は R246 から県道50号線、小田急線相武台前駅から西に進むとすぐ掘割への道が現れます。道路改修のため車両通行止と言うことで、自転車パラダイスです。 相武台前駅の住所は相武台。相武台は無くなった陸軍士官学校の別称なので、相武台駅でよさそうなもんだが。JR相模線相武台下駅との混乱を避けるためでしょうか。 |
掘割が深くなると、異次元空間。少し涼しい。 |
核心部のトンネル。改修前の暗くて寂しいころに来たかったです。 |
トンネルを抜けて振り返ったところ。 |
基地との境目が公園になっており、大山が遠望できます。 細い道を隔てて向かい合った警告板。米軍は基地内進入への警告、相模原青陵高校野球部は、日本語はやわらかいですが、基地内へ飛ぶボールに注意せよと強気な Cautionをおくっています。 |
座間キャンプ北端は、縄文中期に大集落があった勝坂(かっさか)。登録有形文化財(文化庁)の中村家住宅は、関東大震災前は3階建てでした。石楯尾(いわたてお)神社は台地の出っ張りにあります。 |
帰路に迷い込んだ相武台団地を抜ける半地下道の神奈川県道507号線。騒音問題で長い反対運動があったらしい。なかなか壮観。 |
久しぶりの F20-R451。体が秋モードになっているので、暑かったです。 |
50.04km AV13.4km/h,3:47:35 |
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