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芥川賞作家で「第三の新人」の一人であった庄野潤三(1921-2009)の「山の上に憩いあり」(1984年)には、庄野が住んだ戦後の生田や、交流のあった文芸・音楽評論家、河上徹太郎邸の情景が描かれています。 一方、河上徹太郎(1902-1980)も「エピキュールの丘」(1956年)などで、戦後間もなく片平に居を構えたころの高等遊民的狩猟生活に触れています。 近場なので、様変わりした都筑郡、橘樹郡をサイクリングしてきました。 |
旧河上邸あたり。「武蔵府中」1/25000(昭和28年12発行) |
川崎市最奥部、川沿いの県道137号からの見上げる南向き斜面。この上に河上邸があった。 「焼け出された河上さんは南多摩郡鶴川村の白洲次郎邸に二年間、同居してから、やがて柿生片平のいまの場所に移り、二度と東京へ帰らなかった」(庄野) |
「私の氏神はすぐ半町程上の丘にの上にあるが、数百年たった松屋杉に囲まれ、その名を白鳥神社といふ」(河上) |
旧河上邸あたりからの旧都筑郡片平村方面。 |
旧庄野邸あたり。「溝口」1/25000(昭和28年12発行) |
旧庄野邸近くからの生田方面。右下は長沢浄水場。 |
28.99km、2h29m |
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