◆初日の昼食。カメ入り島寿司。既に一貫食べてしまった。中央右がアオウミガメ。1600円。 |
◆宿の夕食。キンメの兜煮。 |
◆2日目。宿の朝食。 |
◆昼食。海鮮丼。1000円。 |
◆宿の夕食。島野菜。 |
◆3日目。宿の朝食。 |
◆昼食。ラーメン。750円。 |
◆宿の夕食。イワシは宿前の浜で獲ったもの。 |
◆4日目。宿の朝食。 |
◆昼食。上カルビ丼。1000円。韓国料理屋。女将の愚痴(笑)「空港ができると思って島へ来たが、一向にできない」 味良し、コスパ最高。 |
◆おがさわら丸。レストラン営業時間と空腹フラグが合わず。船内で食べたのは、持ち込みと自販のカップ麺、ドリア類。 |
◆竹芝桟橋からの帰路。深沢不動前の街中華。750円。 |
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清々しい天候、東京ミッドタウンへ。駒沢通りから根津美術館までまっすぐ走り、笄川の川跡をたどります。根津庭園の池は笄川の水源のひとつです。西麻布二丁目。町会板は麻布上辡町会。 |
青山霊園を横切り、東京ミッドタウンの駐輪場。ここ、3時間まで無料ですが、いつも空いています。 |
東京ミッドタウンデザインハブのGood Design Finalist 2018 展。 |
これは展示ではなく、ガレリア3Fのサントリー美術館の前の素敵な空間デザイン。 |
東京ミッドタウンは2007年開業。つい、この前だと思ってたが・・。元は防衛庁。その前は歩兵第一連隊。 |
52.1km |
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昭和12年6月発行の 1/50000 地形図「父島」には、2ヶ所に "経緯度測點" の注記があります。離島だと三角測量をつないでいく訳には行かないので、天体測量が必要なのでしょう。 「経緯度測點」の用語を使用していたのは内務省地理局か海軍水路部と推測しますが、国土地理院や陸地測量部の資料にもない "点" なので現地へ探しに行ってみました。現存するのでしょうか? |
1ヶ所は自衛隊基地内なので、近づけるのは扇浦の小笠原神社付近。 |
地図記号の「記念碑」の周辺。小笠原の領有の決め手となった碑が並んでいます。 小笠原新治碑(にいはりひ)。1862年に幕府調査団の乗る咸臨丸で送られてきました。「文禄2年(1593)に小笠原民部少輔貞頼が発見し、その子孫宮内貞任が享保13年(1728)開拓のために渡海を計画したが果たせませんでした。この度幕命により水野忠徳、服部帰一常純らが渡島するに及び、この碑文を記す」といった内容が記されていますが、幕府は小笠原貞頼の発見を伝える「巽無人島記」が偽書であることは知っていました。 東京都教育委員会の英文では "Monumetnt of declaration of Japan's territoriality" 「日本の領土宣言の記念碑」となっています。 |
小笠原開拓碑。1877年建立。幕府による入植は、生麦事件での報復(英国の侵攻)を恐れて中座したため、明治政府が日本統治の再興を宣言。 |
小笠原神社(貞賴神社) |
ここにも新しい、無人島発見之碑(東京都、1993年) 小笠原貞頼伝説を、「・・などと伝えられている」として正面に表記。もう、しらばっくれて時代を遡る必要もないと思うんだが。偽書と依りどころとする限り、正当な発見者であるの阿波浅川の勘右衛門らは浮かばれない。 |
さて、 "経緯度測點" 見通しが効く場所へ上ってみると。 |
時代が新しい気もするが、天体観測用の器具を置くには丁度いい感じ。 |
帰納法的には、これを測量遺構として間違いなし? |
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最終日にようやく晴れ。出帆は15時なので、半日勝負。 コペペ海岸から初期の入植者が開墾した北袋沢。八ッ瀬川を渡り、森林生態系保護地域に入ります。 |
中山峠から二見港遠望。足元は小港海岸。 |
中山峠の稜線先から北方向。野羊山、洲崎飛行場跡など。 |
饅頭岬と南島。 |
ブタ海岸へ下り、饅頭岬の外洋側。 |
陸軍省 父島要塞第二地帯標(昭和16年1月10日) 帝国の南進が固まったころ。 |
中山峠から稜線の山側。中山峠の標高はわずか110m。 |
八ッ瀬川を渡り、森林生態系保護地域を出て小港海岸。ここには、東京都最南端のバス停があります。土曜日なので、地元の人も来ていました。子供が多い。3-4人も普通、地域で見守るので子育ても楽とは、直接聞いた声。 |
二見湾と"おがさわら丸" 晴れると、海の色が違います。 |
二見湾を周り大村。墓地公園の大根山。最初に定住した SAVORY家の墓石がありました。 |
次いで、夕日の名所というウェザーステーションへ。要塞神社碑。父島要塞大村第二砲台跡には弾薬庫、砲台長位置(指揮所のこと)、兵器格納庫。 |
真西方向。 |
自転車を置き、三日月山展望台へ。三等三角点(174.7m)、海上自衛隊水上機発着場。 |
29.6km |
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3日目も天候が思わしくありません。雨が上がったすきに洲崎飛行場跡へ。 昭和11年発行の1/50000「父島」(軍事極秘)には飛行場の記載があります。 |
現在は針葉樹林帯。南側は海面を埋め立てていたのでしょうか。100mほど陸地が狭くなっています。 |
中央部。古い舗装ですが、時代はわかりません。 |
北海岸。桟橋なのか滑走路なのか。 |
決戦前(結局、米軍の上陸はなかったが)に日本軍が破壊したと伝えられているようです。 |
ダミーのトーチカ。私の推測です。 |
本物のトーチカ。私の推測です。 |
鉄筋コンクリート造。トンネルに続いています。 |
南海岸。陸地(埋立地)は狭くなっています。 |
雨宿り&昼食の後、扇浦の軍用道路へ。1940年に特別国道30号(扇浦陣地から父島巽湾を連絡、途中父島要塞管轄の巽谷砲台建設資材の搬入)として整備されたトンネル。 |
2本あるトンネル間の道(切通し) |
1本は通れますが、もう一本は封鎖(水溜め?)されています。資料はほとんど残っていないらしく、巽湾まで開通していたか否かは不明です。 |
20.2km |