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父島上陸。ビーチはサンゴダスト。港からビジターセンターまでの間に「ペリー提督来航記念碑」と「ラドフォードスクール跡地」 |
小笠原の歴史を紐解くと、日本領とならない可能性も十分ありました。 |
1670年:阿波浅川のみかん船が無人島(おそらく母島)に漂着。八丈島を経由し下田奉行所に報告。 |
1675年:徳川幕府が巡検隊(嶋谷市左衛門)を派遣。無人嶋(ぶにんとう)と名付け地図を作成するも放置。 |
1727年:小笠原貞頼の子孫と称する浪人宮内貞任が「巽無人島記」を元に、渡航、領有を願い出る。一度は許可されるが再調査により偽書と断定。 |
1785年:林子平「三国通覧図説」刊行。嶋谷市左衛門の地図を元にするも、地名は偽書「巽無人島記」を援用。 「三国通覧図説」は翻訳され、欧米に知られる。 |
1827年:イギリス軍艦来航調査。 |
1830年:英国人、米国人など欧米系5名、ハワイ系20余名が入植。 |
1853年:ペリー来航。米国人セボリーより貯炭所用地を購入、米海軍の軍籍に編入。 |
<<英米が領有を主張、互いに牽制>> |
1862年:咸臨丸を派遣し日本領を宣言、測量調査。その際、小笠原貞頼の発見をしらっと主張。八丈島からの入植開始。 |
1863年:生麦事件後、英国の襲撃を恐れ小笠原島より撤退。 |
<<維新後、英国が領有を主張。米国は日本による主権確立を進言>> |
1875年:明治丸を派遣し日本統治の再興を宣言。2日後、英国領事到着。 |
1882年:在来島民、全員が帰化。 |
1944年:民間人の本土へ疎開。 |
1945年:太平洋戦争終結。米軍統治が始まる。小笠原村役場が東京都下谷区に移転。 |
1946年:帰化していた欧米系島民の帰島を米軍が許可。 |
1968年:日本復帰。 |
気象庁父島観測所。海上自衛隊父島基地分遣隊。大神山神社は、1895年 社殿築造、1946年 府中市八雲神社境内に遷座、1972年 帰還遷座、1979年 現社殿築造。 |
大神山公園から二見港。 |
おがさわら丸。3日間、ここに係船。 |
米軍に攻撃を受け座礁、放棄された濱江丸(ひんこうまる) |
宿は、海に面した部屋で選んだ扇浦の民宿。道路より海側の建物は既存不適格らしく、色々昭和風。 |
14.82km、1h32m。 |
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