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青春18きっぷ、4回目。身延線波高島駅から、発電用ダムなのに砂防ダム状態の雨畑湖へ。 南武線川崎行きの始発(4:53)に乗るため武蔵中原駅へ。小田原、熱海で乗り換え富士からは身延線。平日なので富士駅~富士宮駅間は混んでいます。 波高島駅で下車(9:12)。元々は畑ケ島。当て字で "波高島" になった後、富士川の波が高くて云々と言うもっともらしい伝説が生まれたらしい。地名縁起は難しい。 |
富士川。下流方面。 |
早川沿いに遡行し、早川町観光協会の南アルプスプラザで情報収集。早川町は日本一人口の少ない町で、この日では1051人。富士川沿いのコンビニで食事を済ませて来ましたが、ここや町営のヴィラ雨畑でも食事が取れます。身延山七面山がらみで、観光客も来るエリアとのことです。 雨畑ダム行きを決めたのは、赤色立体地図の千葉さんのfacebook投稿(水抜き状態)ですが、その後水を貯め始めたことも教えてもらいました。 |
早川支流の雨畑川。駿河湾の桜えびの不漁が続くのは、この泥水のせい? との説もあります。 |
水を溜め始めて数日ですが、浅いのですぐ溜まる。 |
橋の水面からの高さは沈下橋クラス。越流をじゃましないようにしないと、橋が流される危険が。 |
昭和7年発行の1/50000 では河原に407mの水準点があります。1967年竣工の雨畑ダム、堤高80.5m。土砂の厚みは50m以上。 |
ダム湖へ流れ込む沢。 |
巨大砂防ダム状態。アーチ式ダムなのに。 |
DAHON K3、酷使されています。 |
硯で栄えた雨畑集落。明治期には「雨畑硯製造販売組合」が結成され、90余名の組合員がいました。ダム建設前から東向き斜面にある集落で移転はしていません。現在、硯製造を続けているのは1軒。電柱の番札に残る "硯島"。 |
富士川沿いに戻り北上。天日干しの稲の組み方(はざ掛け)は、西日本型でした。 |
鰍沢。地形図の図名かつ落語「鰍沢」の聖地(^_^)、富士川水運で栄えましたが痕跡は見当たらず。帰路は鰍沢口駅から輪行、中央線立川経由で帰りました。 |
武蔵中原駅まで+波高島~雨畑湖~鰍沢口(54km)+武蔵溝ノ口駅から。TOTAL 70km。 |
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