2泊した十津川村ですが、1泊目の武蔵集落は国道から200m上った緩やかな傾斜地で、宿の前は明治8年に開校し、昭和45年に閉校(統合)された旧武蔵小学校。現在の村役場は標高170mですが、「歴史民俗資料館」で教えてもらった旧役場は小森集落にあり標高400m。明治期までは集落も道路も尾根筋にあり、熊野古道も人里離れた山中の道でなく、集落をたどる参詣道でした。 明治以降の川沿いへの遷移を、学校の移動で地図化しようとしましたが、現在は村全域で小学校が2校なのが分かり断念。村の広さは東京23区より広いのに。 次善の策として水準点(国道や主要道沿いに設けられた標高点) 地図記号は "□の中央に・" を比較してみました。 対象としたのは、1914年発行 「十津川」1/50000の一部。 1等水準点は、11ヶ所 小森 533.46m 沖之口 614.78m 尾越 677.98m 樫原 525.38m 平谷 147.44m 西川 169.68m 小井 165.15m 桑畑 190.50m 二津野 267.67m 果無 225.19m 七色 128.58m |
同じ範囲を現在の地形図でみると、1等水準点は、12ヶ所 湯之原 187.2m 湯泉地 172.0m 小原 176.8m 滝 160.9m 今戸 169.3m 山崎 152.5m 豆市 163.8m 平谷 143.6m 桑畑 143.6m 二津野 253.9m 果無 164.3m 七色 127.6 m 平均標高 331.4m が 163.4m になっています。人々が山から下りてきたのが近代化の一つの姿。 |
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