1日目(青線)の地図を見る |
初の先島諸島は宮古島。羽田 6:40、宮古 10:10 のJAL(JTA)便に乗るため、たまプラーザ 5:00 の空港バスで。DAHON K3 での初航空機輪行です。輪行袋は IKEAの収納袋(布団袋)とダンボール2枚の簡易収納で臨みます。 |
高度を下げ雲を抜けると伊良部島と下地島が眼下に。狭い水路で分断されています。 |
Uターンして来間(くりま)島上空から宮古空港へアプローチ。 |
上空からの来間大橋と与那覇前浜ビーチ。 |
定刻に到着。宮古島警察署には、お土産菓子のパッケージになっている "まもる君"と "まるこちゃん"。 2005年、平良市・城辺町・下地町・上野村・伊良部町の合併により全島一市となった宮古島市役所。人口52000人。 |
市街を抜け伊良部大橋。2015年供用開始。通行無料の橋最長の 3540m。雲の多かった行きと晴れた帰り。海の色が、まったく違います。 |
正面の巨岩がヤマトブー大岩。最初に伊良部に人が住み着いた下牧の海岸への出入り口の目印だったらしい。名前の由来は不明。 |
サイパン、ソロモンなどの南方カツオ漁で栄えた佐良浜。漁協併設の "おーばんまい食堂" で海鮮丼。住所は宮古島市伊良部池間添47番地。対岸の池間島がルーツで、農業地域なら池間島が本村で、こちらが池間新田とかになるのでしょう。 |
大主神社(おおぬしじんじゃ) 元々は大主御嶽という御嶽(ウタキ)で、池間島にあった大主御嶽の分けたもの。本殿の屋根のはヤマト風の鰹魚木。 |
佐良浜集落の水場、サバウツガー。海岸の深い井戸で、1966年まで、ここで飲み水(多少の塩分を含むが)を得ていた。水汲みは女の仕事、重労働だった。 |
伊良部島の中央部を抜け、浅い水路で別れている下地島へ。 |
航空写真で見ると伊良部島と下地島は1つの珊瑚礁。日が差すと海の色が変わってきます。下地島空港を一周し通り池。鍾乳洞の天井が部分的に崩落してできました。 |
伊良部大橋を戻り、バルチック艦隊発見の知らせを宮古島から電信のある石垣島に伝えた5人の漁師「久松五勇士」、池田矼(いけだばし)は石灰岩アーチ橋。沖縄製糖宮古工場の隣なので、甘い香りが漂っていました。宿は、オフシーズンの東急宮古島リゾート。宮古島トライアスロンの起点となるホテル。 |
広いバルコニーからの夕日。 |
60km |
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