かつては、一続きだった対馬の上島(かみじま)、下島(しもじま)の3つの地峡(2ヶ所は開削)と砲台跡を巡ることにします。 |
平坦地がなく、時間が読めないので朝食をとらず 6:30 に出発。昨今の韓国人観光客の集中に加え、長い歴史的な結びつきもありハングル文字もよく見かけます。ただし、言葉の借用は少なく、却って古い日本語が多く残っているとのこと。 |
空港の地下を抜け、1671年(寛文12年)に開削された大船越瀬戸。北の水路沿いにアプローチ。南から北への流れが速い。 |
大船越橋から北(浅茅湾から朝鮮海峡)方面 |
大船越橋から南(玄界灘)方面 |
次いで、姫神山砲台跡(別稿)から、万関瀬戸(まんぜきせと) |
江戸時代初期に開かれた大船越瀬戸は狭く、竹敷要港部から玄界灘への航路として1900年に海軍が開削しました。延長約500m。 |
万関橋から南西(浅茅湾から朝鮮海峡)方面 |
万関橋から北東(玄界灘)方面 |
万関展望台からの浅茅湾。ここには、三等三角点「久須保」(70.02m)があります。 |
3つ目は開かれることのなかった小船越。 |
小船越の西漕手(にしのこいで)から東方面。この先に200mほどの地峡があります。 |
地峡の標高は12mくらい。距離は短いけど急坂です。遣隋使もここを越えたらしい。 |
小船越の東側。今も、水路が延びています。 |
西漕手の漁師さん。いつも納めていたホテルの料理長がリタイア。福岡への活魚販売を始めた。 ずっと夫婦で漁をしてたんだと思うが、もうおばあさんは歩けない。じいさんが猫車にばあさんを乗せて、家へ帰っていった。遣隋使が船を乗り換えた場所の1400年後。 |
帰路に案内板のあった浅茅パールブリッジへ。2.2kmですが、激しいアップダウン。ここに限らず、対馬で周回コースは取れず、いつも往復サイクリングでした。 |
昼食は地元の人が来るレストランやすらぎ。観光客用の食材を使う店は休業が多く、普通の定食となりました。 |
厳原へ戻り嚴原八幡宮神社と今宮若宮神社。今宮若宮神社の祭神は、キリシタンの小西マリア(小西行長の長女で宗義智夫人)、融通無碍にも程があるが、関ケ原後に離縁しているので、怨霊を恐れたためでしょう。 |
60km |
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