蛇行しながら舌状台地に取り付き、八ヶ岳山麓への高度を稼ぐ中央本線。 |
日野春駅構内の給水塔。ホームに説明版があったので読んでみると、「この給水塔は、その昔戦国武将の武田勝頼公が新府城築のあたり八ヶ岳の豊富な清水を引くことになり・・・」長いけど、ちゃんと給水塔誕生まで論旨明確に繋がっています。ここは甲斐の国。 |
旧甲州街道と中央本線。甲斐市下今井。 |
南アルプス市の個人食堂で昼食。甲府盆地では、チェーンでない飯屋がたくさんありました。 |
十五所公会堂。盆地西部では、公民館ではなく公会堂と呼んでいるようです。 |
古いおにぎりは時々見かけますが、古いヘキサはめずらしい。 |
謎の物件ですが、丁寧に保持されています。 |
復原された甲府城鉄門(くろがねもん) |
天守台から本丸。謝恩碑(オリベスク)は皇室の山林を明治天皇から本県にいただいたことを記念し明治44年に建造。伊東忠太、大江新太郎設計。忠太先生のエジプト旅行のスケッチにあったような。 |
鳳凰社。笛吹市春日居町別田。しめ縄のかかった石柱はなんだろう。 |
塩山駅ちかくに多数。養蚕家屋の一種で「突き上げ屋根」というらしい。小屋裏の空間は産室。 |
朝の勝沼駅への下り列車。(0:40) |
平成の大合併で誕生した山梨県甲府盆地の市。位置関係がピンとこないので市役所を一気に回ってきました。 |
スタートは標高は615mの日野春駅。ここから下り基調で回ることにします。 |
北杜市。2004年、長坂町、高根町、大泉村、白州町、武川村、須玉町、明野村の7町村が合併し成立。2006年に小淵沢町を編入しています。 |
甲斐市。2004年、竜王町、敷島町、双葉町が合併し成立。 |
南アルプス市。2003年、櫛形町、若草町、白根町、甲西町、八田村、芦安村が合併し成立。 |
中央市。2006年、玉穂町、田富町、豊富村が合併し成立。 |
山梨市。平成の大合併でなく1954年に発足。旧東山梨郡の郡役所があったので、郡名準拠の市名と言えます。 |
明治村に移築された明治18年(1885年)落成の東山梨郡役所。国の重文です。 |
甲州市。2005年、塩山市、勝沼町、大和村が合併し成立。 |
通りすがりの韮崎市役所。 |
通りすがりの甲府市役所。 |
山梨県庁舎庁別館 (旧本館) 1930年(昭和5年)竣工。佐野利器が設計にかかわっているらしい。 |
69km |
袋井から北上。昭和40年ごろまでだと森の石松で有名だった静岡県周智郡森町。塩の道、秋葉街道と太田川の舟運で栄えた谷口集落です。 |
太田川の土手にある山名神社、拝殿に向かい合う神楽殿。 |
天竜浜名湖鉄道の太田川橋梁。1987年に廃止となった国鉄二俣線を引き継ぎました。 |
静岡鉄道秋葉線(1962年廃止)の遠州森町駅(現在はバスターミナル)から急坂を上ると三島神社。 |
天宮(あめのみや)神社。ここも、舞殿(神楽殿)が拝殿に正対しています。 |
舞台は2間四方の高欄付き建物で渡り廊下によって楽屋までつながっています。 |
天宮神社。本殿側から。 |
太田川を詰めると1881年(明治14年)落成の旧城下学校。 |
旧周智郡役所。現在は森町立歴史民俗資料館。 |
小国神社の舞楽、山名神社天王祭舞楽、天宮神社の十二段舞楽は「遠江森町の舞楽」として、国の重要無形民俗文化財に指定されています。 |
物資の集積地で人の行き来も多かったので、人材の輩出もなかなかのものだったようです。森町出身の鈴木藤三郎が起こした小名木川の日本精製糖。 |
明治22年の郡。川筋を基準に郡が設けられています。 |
昭和初めの森町。舟運から鉄道輸送に変わるころ。楕円は郡役所記号。 |
同じころの袋井町。東海道の宿場だったが市街地は森町よりだいぶ小さい。袋井市との合併が流れた遠因かも。 |
天竜浜名湖鉄道、遠州森駅。夕暮れが迫ってきましたが、輪行せずにJR掛川駅まで自走。 |
32.2km |
武蔵溝ノ口駅まで自走し始発(5:03)で菊川駅 9:22。 |
2019年は御前崎を目指しましたが、今回は南下。高天神城の麓をかすめ、菜の花畑にひかれてルートをそれると旧大東町(掛川市)の文化会館「シオーネ」と図書館。心配になるハコモノです。 |
戦前の日中交流に尽力した地元の松本亀次郎の業績などが展示されています。 |
下小笠川の旧河道。2006年、天井川で水害多発地域だった下流部の付け替えを浜松河川国道事務所が行いました。 |
環境・景観に配慮した施行とのことなので、機会があれば見に行きたい。 |
山裾をたどる静岡鉄道駿遠線。1913年部分開業、1948年全通。総延長64.6 kmの最長軽便鉄道でしたが、1970年に廃止となりました。 |
横須賀城。武田方の高天神城に対する徳川の前線として1578年に築かれました。高天神城攻略後は遠州南部の徳川の拠点。 |
遠州灘からの入り江に接していましたが、宝永地震(1707年)で隆起。湊は太田川河口へ移りました。 |
玉石垣を用いた築城は他に例がありません。 |
遠のいた海岸。かすかに目視できました。 |
今年はさくらの開花が早く、ちょうど満開。城跡を整備したのが近年なのでしょうか。桜木が若々しく、花もくっきりしていました。 |
小笠山を巻くように北上。長い軽便鉄道は袋井駅まで。ところどころ自転車道になり遺構が残されています。 |
袋井駅到着。地下道を北口に抜け、午後の部へ。 |
33.8km |