| 「本橋信宏 x 石井建志トークイベント&その前に上野散策」に参加しました。 |
| 明治はじめ。内国勧業博覧会(第1回~3回は上野公園)が行われていたころ。今の東上野、西浅草は寺だらけ。 |
| 1930年代。上野駅開業は1883年。東京地下鉄道の車庫は、関東大震災で壊滅した貧民窟(万年町)の跡地に設けられた。不忍池の東岸に路面電車。現国立科学博物館日本館が飛行機の形状をしていることがわかる。 |
| 寛永寺旧本坊表門。上野戦争の銃弾の痕が残る。帝国博物館正門として使われていましたが1937年に現在地へ移築。 |
| 1946年ごろ。食糧難の時代、不忍池が農地に。国立西洋美術館の開館は1959年。ここに葵部落があった。 |
| お化け灯籠。熱田神宮、南禅寺(京都市)と合わせて日本三大灯籠とか。 |
| 1965年ごろ。 |
| 清水観音堂からの不忍池辯天堂。 |
| 蓮の生い茂る不忍池。 |
| トーク会場のReadin’Writin’BOOK STORE. |
| 5.5km |
| 1/25000「東京西部」「東京西南部」大正8年鉄補 |
| 祝! 東京スリバチ学会20周年。鹿島同期入社の皆川さんと石川さん(現:慶大教授)が立ち上げた東京スリバチ学会。ブラタモリをはじめメディアにも多く取り上げられ、地形に目を向けるまち歩きを確立しました。今日は、渋谷カルカルで20年を振り返るイベントです。 |
| 参加者限定のまち歩きは、13:30 虎ノ門ヒルズ駅から。初の虎ノ門ヒルズ駅(2020暫定開業、2023.7.15 完工) |
| 虎ノ門ヒルズ駅のプラットフォームが見えます。虎ノ門ヒルズ ステーションタワーは、日比谷線の下の空間を活用したとのこと。 |
| 右から、虎ノ門ヒルズレジデンシャルタワー、虎ノ門ヒルズ森タワー、虎ノ門ヒルズビジネスタワー。 |
| 2023年10月開業の虎ノ門ヒルズ ステーションタワー。設計施行は鹿島皆川チーム? |
| 住友系の泉ガーデンタワー。外付けの巨大エレベーター。 |
| サントリーホールで休憩。傾斜と地下空間で周囲への圧迫感をなくしている。ベトナム交響楽団の日本公演はここで行われました。 |
| 檜町公園(萩毛利家下屋敷跡) |
| 三井系、東京ミッドタウンの裏庭。左はパークコート赤坂檜町タワー。 |
| 国立新美術館別館。陸軍第一師団歩兵第三連隊~東京大学生産技術研究所の一部。 |
| 陸軍第一師団歩兵第三連隊の模型。 |
| 埼玉県立近代美術館から連なる黒川紀章設計の新美。 |
| 陸軍射撃場跡。 |
| 1/20000「東京首部」「東京南部」明治42年測図 |
| まち歩きは南青山ツインタワーで解散。有志で渋谷へ。青山通りに面した梅窓院。 |
| カルカル到着。スリバチナイト16 スタート。進行もこなす皆川会長。 |
| 石川スリバチ学会副会長(慶応SFC教授)の神山町紹介。集落、民家、農。グリーンバレー大南さんがトリガーとのこと。 |
| 渋谷カルカルでのスリバチナイトも10年目。すっかり定着しました。 |
| 9.3km |
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松本駅IN、塩尻駅OUT で青春18きっぷ、2回目。 松本城。欧米の観光客で賑わっていました。中国の団体ビザはまだ少ないようです。 |
| 標高600mの松本平から450m登坂し牛伏川フランス式階段工到着。砂防施設としては2つ目の国の重文。 |
| 延長141メートルの石張りの水路に、19段の段差が構築されています。 |
| コンクリートを使わない空石積。川床の下も水が流れ、斜面の崩落を止める。 |
| 工事は1885年(明治18年)から1918年(大正7年) 信濃川下流(新潟県)の土砂災害の要因がこの辺りとして国家事業を行いました。 |
| 塩尻駅へ向かう旧中山道沿い、大門神社。 |
| 午後は雷鳴。運良く、小雨で切り抜けることができました。 |
| 牛伏川フランス式階段工(0:22) |
| 30km |
| 常磐線双葉駅IN/OUT で 青春18きっぷ1回目。現地での移動手段は双葉駅シェアサイクル。 |
| 2023年開業の浅野撚糸双葉事業所。浅野撚糸は岐阜県に本社がある撚糸製造・タオル販売。 |
| (左)東日本大震災・原子力災害伝承館、(右)双葉町産業交流 センター。 |
| 東日本大震災・原子力災害伝承館は2020年開設。公益財団法人福島イノベーション・コースト構想推進機構(概ね福島県)が管理。 |
| 双葉町産業交流 センター屋上から。 |
| 原子力広報パネルのレプリカ。現物も保存されている。 |
| 前田川河口の堤防から。津波以前は水田だった。 |
| 伝承館すぐ近く。丘の向こうがフクイチ。 |
| 国道6号線は自転車でも走れるので南下。 |
| 発電所方面。この送電線が倒れたブラックアウトへ繋がったのか? |
| 立入禁止標識は環境省のもの。 |
| 浜街道(旧道)で双葉駅へ戻るつもりでしたが、生身だとだめ。国道6号線を引き返すことに。 |
| 双葉駅近くの相馬妙見宮初發神社。 |
| 1950年代。長塚駅(現:双葉駅)、陸前浜街道の海側は前田川平野の広い水田。原発をつくった長者浜は30mほどの丘陵の広葉樹林帯で、海岸線は崖。わずかに大芋沢に小さな集落。 |
| 1970年代。陸前浜街道の海側に国道6号線。長者浜には、崖を削った海沿いに港湾と原発建屋。 |
| 18km |





















































