1/3000(1961)+現在の標高での色別標高図 |
町田のNPO法人 "みどりのゆび" 主催のウォーキング『町田・野津田の里山にある「浮輪寮」と野津田公園フットパス』に参加しました。みどりのゆびは、日本で「フットパス」を標榜した最初期のグループです。 10:00 神奈中の野津田車庫からスタート。総勢15名あまり。 野津田は律令期の官道との関連が濃厚な場所。小雨の残る中、野津田公園への上り。 |
農村伝道神学校。1927年に来日したカナダ人のアルフレッド・ストーンが1948年に日野で創設。その後、町田の山林を購入し移転。 学校法人鶴川学院農村伝道神学校として、野津田公園南側の広い地域を所有しています。 |
「浮輪寮」、農村伝道神学校内の数寄屋造り古民家を、建築家の丸谷博男さんがリノベ。浮輪寮は神学校旧女子寮で、ストーン牧師が洞爺丸事故の際、浮き輪を日本人青年に譲り、自身は亡くなったのが名称の由来です。 |
リノベのようすをご本人の解説で伺いました。 |
丸谷さんは東京藝大建築科卒。修士論文が「木曽三岳村の民家」という環境共生に重きを置いた建築家。 |
用意していただいたホワイトカレー。 |
今日の先達。田邊さん作成の丁寧な資料。 |
雨も上がりウォーキング開始。ル・コルビュジエのサヴォア邸を思わせる(言い過ぎ?)農村伝道神学校のモダニズム建築。 |
野津田公園を取り囲むように、丘陵を歩きます。多摩ニュータウン(多摩市)に接する小野路、野津田(町田市)は里山風景が色濃く残っている地域です。 |
小野路の一里塚。小野路は鎌倉街道、日光御成道、東海道と甲州街道を結ぶ脇往還として重要な位置をしめていました。 |
野津田公園ばら広場に移設された村野常右衛門生家。村野(1859-1927)は自由民権運動家~衆議院議員、貴族院勅選議員。 |
かつては萱場だったすすきの丘。 |
英国フットパス風。 |
鎌倉街道上道跡。 |
掘割が明確な1/3000(1968) |
帰路の芝溝街道。村野常右衛門が設立した文武館「凌霜館」の跡地に建つ町田市立自由民権資料館。 |
野津田車庫へはカッパ走行。三斗小屋温泉で損壊し買い替えたレインウェアのデビューとなりました。 |
7.1km |
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