音楽ものです。 最初で最後かも?
日経ビジネスオンライン~かもめ児童合唱団~トラベシア(2009)
~ヌーベルバーグ(1978)~ムーンラーダーズ
とリンクが繋がり、「マニアの受難」を再度見る。
かもめ児童合唱団
1920(大正9)年発行の1/25000地形図を見ると、徳島市街から伊予街道、讃岐街道、土佐街道が伸びていることが分ります。
市街の周縁部には、その道筋が残ってそうなので、ポタって見ました。
<讃岐街道> 蔵本駅の東側に、商家が連なる道として明瞭に残っています。
讃岐街道は県道1号線に相当する道ですが、この辺りでは500mほど西に新しく作られているので、優雅に屈曲した古い街道が味わえます。
古い地図の製紙工場は阿波製紙、製糸工場はDNP四国(印刷工場)として継承されています。
少し街道からは外れますが、木造3階建ての現役旅館がありました。
<伊予街道> 蔵本公園前からR192の北側に道筋が残っています。
民家や空地(駐車場)が目立ちますが、歴史のありそうな造り酒屋や伊豫街道上鮎喰一里塚の碑(新しい)もあります。
鮎喰川の堤防際にあった旧鮎喰駅の痕跡は皆無です。
もっとも、現在の駅も信号所風の簡易なものなので、駅舎は無かったのかも知れません。
<土佐街道> 拡幅された県道136号線により、昔の道筋は埋没しています。
二軒屋駅の位置が北へ移動しているので、今は消防車庫になっている場所が、昔の駅前通りかも知れません。
八万東保育所に八万村役場跡と乗合馬車発着所跡の木碑があります。
那賀郡羽ノ浦村までの馬車路線が、1905(明治38)年から大正初めまで運行されていたとのことです。
ママチャリだったので、計測できず。20Kmくらい。
標高グラフ付きの大きな地図を見る
"ま~し~" さん旗振り、遠来の "るみちゃん" を迎えての鮎喰川ツーリングに参加しました。
総勢11名ですが面識があるのは、
"やま" さんだけ。神山の峠ハンター "smak" さんとも初対面です。
とは言え、同じ自転車乗り、皆さん即刻10年来の知人状態です。
まずは鮎喰川を遡り、雨乞いの滝へ走ります。ソロでの巡航速度より5Kmくらい高速ですが、やはり集団で走ると楽です。 次いで、江田の棚田(菜の花)へ向かいます。R193から江田谷川に沿って350m位まで上ります。
有名な場所ではありませんが、黄一色の棚田は壮観です。
R438との短い重複区間を経て、R193を倉羅峠へ登坂開始です。皆さん、雑談しながらのサイクリングですが、ちょっとこの坂は苦しい上りです。
ギア比的には前3段の私が優位のはずですが、16%の勾配はこたえます。ちぎれた後、何度か押しをまぶしながら、760mの峠にたどり着きます。
この峠は、別名「経の坂峠」読み方も"くらとうげ","くららとうげ"が混在しています。
最後は、吉野川の眺望が素晴らしい堀割峠を越え、右岸堤防を徳島行きトレインで走ります。眉山も大きく見えてきた残り15Kmで、リソ-ス・エンプティ。連結を外して、フリーズは免れました。
104.6Km。
標高グラフ付きの大きな地図を見る
阿讃国境の峠道を順につぶして行きたいと思っています。今日は、長いダートと変わった名称で有名な109峠を走ります。
この峠の名前は、「善通寺駐屯一〇九施設大隊の功を讃え一〇九峠と命名」とのことです。
今日は電波が届かないエリアを走るので、地図画像をiPhoneに落としてきました。 ![]() iPhoneは、写真として保存すると勝手に圧縮してしまい等高線が読み取れなくなるので、EXCELにjpgを貼り付けて、メールを介してダウンロードして置きます。 現在位置の特定はGPSの標高と等高線で行いましたが、標高の精度は位置より劣るので、あまり信頼できません。 |
100.0Km。
(地図でみる西日本の古代 より)
今日の種本は、「地図でみる西日本の古代」(平凡社)と「古代吉野川下流域の条理と交通路」(鳴門教育大学研究紀要)です。
律令期の条里制に沿った経路が、けっこう残っているとのことなので、国府周辺を走ります。
この辺りは古墳も多く、阿波史跡公園や徳島市立考古資料館がありますが、律令期も阿波の中心地で国府、国分寺、国分尼寺があった場所です。
(上)大御和(おおみわ)神社から国分尼寺跡への直道。条里地割の余剰帯がまっすぐ続く。
(左)国分尼寺跡。
(右)現国分寺に移設された国分寺七重塔心礎。標高グラフ付きの大きな地図を見る
後半は、神山の旧道を走ります。山奥へ行くわけではないので、紙の地図も地図画像も持たずに走ったのが失策。iPhoneの電波が山中ではほとんど入りませんでした。
現在地がずっと不明でしたので、帰ってから走った道を確認するはめになりました。
まずは、県道207 大桜トンネルの旧道です。ここは、地図に道は載っていませんが、下から見た感じでは人家もいくつかあり、越えられそうなので登坂します。
梅は6分咲き、桜(?)は8分咲き、峠には神社と剣山遥拝所がありました。地元の人が大切に保持しているようです。平成まるゴシ体の新しい標識「大桜越え」がありました。
峠を下りると阿波エンジニアリングの大きな工場があり、その後すぐに大桜トンネルの西側に出ます。
鬼籠野方面へ進み、獄門峠(名前は恐そうですが、これも平成まるゴシ体)を越え、喜来の集落に入ります。おばさんに道を聞くと佐那河内へ抜けられるとのことなので、そのまま進みます。府能トンネルをバイパスできるかも知れません。 不安になってきたころに稜線が開き、眼下に集落が見え、ひと安心。下っていくと1月にやまさんと走ったR438旧道に合流し、ようやく現在位置がわかりました。
62.5Km。
標高グラフ付きの大きな地図を見る
徳島へ帰省しましたが、どうも天気が悪く寒い日が続きます。山は寒そうなので、南下して海へ行くことにしましょう。手ごろな100Kmコースとして、蒲生田岬の根元の伊座利峠を越え、由岐まで往復します。
![]() 1936(昭和11)年発行の1/50000では、後に国鉄に吸収された阿南鉄道が終点の古庄駅まで延びています。 富岡へ路線を延ばす際、なぜ長い鉄橋が必要となる下流に路線を変更したのか、不思議な気がします。 |
![]() 右手に延びる廃線跡。 鉄道時代の橋脚、橋台が数ヶ所残っていました。 |
富岡、橘から椿坂隧道を経て伊座利峠を越えると太平洋が望めます。ただし、今日は曇天なので、海の明るさは感じられません。 ![]() 伊座利から由岐までは、海岸線に道が作れないようで、大きく迂回します。 由岐でうまいカツ丼を食べ元気づきましたが、帰路は向かい風が強く、かなり消耗する結果となりました。 104.7Km。 |