| 江戸中期に開削された千川上水は、境橋で玉川上水から分水し、巣鴨まで続く約22kmの用水路です。用水としての役目を終え、ほとんどが暗渠化されましたが、上流の5km程は平成元年に再び開渠にされています。 |
| 流れているのは高度二次処理を施して再生した下水。小さな流れですが、なぜか大きな鯉がいます。 |
| 吉祥寺橋から上手(手前)は、練馬区と武蔵野市の境界となっています。 |
| 明治42年製版の地形図だと、北豊島郡石神井村と北多摩郡武蔵野村の境界です。上水が境界になったのではなく、微妙な分水界に境界線があり、そこに上水が開かれたのでしょう。 |
| 五日市街道に入ると、千川上水に沿って堂々とした並木が続きます。 |
| 程なく玉川上水との分岐の水衛所跡に到達。分水の流量は、玉川上水(3:2)千川上水、だったようです。 |
| 55.67km |
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先週、上勝側から大川原高原へ走った時に見た上勝町の案内地図によると、棚田百選に選ばれた棚田があるので、見に行くことにします。 徳島県道16号線を走り勝浦町を抜け上勝町へ。葉っぱ事業で有名ですが、人口は1700人で平地は皆無。林業の町です。 農産物直売所を兼ねた「いっきゅう茶屋」の定食は、なんと400円。感じのいいお店です。 |
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勝浦川を遡り、町役場付近から棚田のある樫原地区への登坂に入ります。町役場の回りも平地はなく、いきなり10%を越える坂道です。 町役場が標高250m、このあたり(野尻)で標高400mくらい。十分、棚田ですが、樫原は別の尾根の先。道を間違え、上ってしまいました(泣) |
| ようやく棚田百選の樫原へ。標高500mから650mまで続きます。 |
| 樫原集落を上り切って、往還道を府殿地区の最上部へ。縦に長い集落で、標高550mから300mまで続きます。 |
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いったん、勝浦川まで下り、次は傍示(ほうじ)の射手座造船所へ。2007年の「上勝アートプロジェクト~里山の彩生~」の作品です。 作者の日比野克彦による作品説明は「山の中の造船所。私たちは遥か昔、海の向こうからやってきた。ここから海の向こうは遥か彼方のそのまた向こう。・・」 |
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棚田区域は厳しい坂が続きますが、自販機は無し。十分な飲料を持ってくる必要があります。今回、わたしは水を分けてもらうことになりました。 94.78km |
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| 7:30に吉野川大橋南詰でやまさんと合流、旧吉野川下流域の穴場を案内してもらいました。 先ずは、霞ヶ浦周辺とならぶ蓮根の産地、松茂,鳴門あたり。 ハスの花を目的に栽培している訳ではありませんが、鮮やかなピンクや白い花が目に入ります。 |
| 次いで、紀伊水道に面した大手海岸。鳴門金時(サツマイモ)の畑が続きます。川砂の客土や水やりなど、手をかけた農作物とのことです。 |
| 瀬戸内側へは星越峠を通る徳島県道228号線で抜け、北灘漁協のさかな市でブランチ。生しらす付きの海鮮丼いただきました。 |
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復路は、徳島県道41号線で卯辰峠越え。県道1号線の大坂峠越えよりカーブが少ないためか、微妙に交通量が多かったです。 徳島の神域、大麻比古神社、一番札所霊山寺へ下り、道の駅第九の里へ。ここで、やまさんと別れ、私は上板方面へ向かいます。 |
| やまさんは、年代物のLOOKカーボン。クロモリと思うほど細いフレームです。パソコンに例えると Apple2 くらいでしょうか。イノー、レモン時代の逸品です。 |
| 98.03km |
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| 一昨年、雨で断念した上勝側からの大川原。今回は大川原登坂にポイントを絞り、旧道は封印して新坂本トンネルを抜けます。 水分補給は、村のよろずやさん。 正木トンネルを抜け、最後のお店で〆たカンパチすし。繊細な美味さにお酢を尋ねると、柚子と柚柑(ゆこう)を使っているとのこと。 彩(いろどり)ブランドの葉っぱが集荷されていました。 |
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県道から離れ、本格的な登坂が始まります。 上勝アートプロジェクトの「淵神の塔」(國安孝昌)。一気に見下ろす位置に上る坂もアートの一部でしょう。 |
| 裏口から大川原ウインドファームへ。突然現れる巨大風車。 |
| まだ、アジサイが残っていました。 |
| 76.24km |
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| 昨夜、CRCで買ったタイヤを持って徳島入り。今日は眉山へ上りかけましたが、暑くて体に悪そう。 本格的な上り手前、忌部神社の案内板から眉山山腹を巻く道にそれてみることにします。 この道、標高100mほどで、眉山の山腹を巻くように、八坂神社の裏あたりまで延びています。 |
| 昭和9年測量の地形図だと、眉山山中で道幅1m以上の道路は、尾根筋の直登路とこの巻き道だけなので、古くからの道であることが分かります。 |
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いくつかある橋が作られたのは昭和30年前後ですので、そのころに大規模な道の改修が行われたようです。 なにげに明治天皇や神武天皇の像が建っています。 |
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今では忘れられたような道ですが、なにやら由来がありそう。 市街は眼下に見えるので街まで下りたいですが、いずれも長い石段や山道ですので、車道としてつながっているのは、眉山パークウェイだけの盲腸路です。 |
| 結局、忌部神社まで引き返すことになりました。延喜式名神大社につながる社格の高い神社です。土俵がありました。 |
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この道、見通せる市街地までは数百メートルですので、阿波踊りの時は、音はしっかり聞こえて面白そうです。 18.53km |































