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多摩武蔵野スリバチ学会の 「多摩丘陵の公園と絹の道」 に参加しました。 集合場所は京王片倉駅。JR片倉駅から歩く予定で改札を出るとNさんの姿が。時間に余裕があるので、ご一緒して駅の南の慈眼寺へ。墓石が斜面に並ぶので、つい上りたくなる構図。 |
片倉城址を望んだ後、急いで下山し京王片倉駅へ。総勢40名弱、絶好の丘陵歩き日和です。先ずは、片倉城址。戦国後期までの城で、空堀、土塁が残っています。 |
三角点のある道了堂(現在の大塚山公園)までのルート。1/20000 「八王子」明治39年測図、42年製版。横浜鉄道(JR横浜線)は1908年(明治41年)開業。 |
大塚山への上り。上った先が今日の最高地点 213.4m。 |
道了堂から鑓水(やりみず)。後に絹の道と名付けられたあたり。 |
幕末から明治初め、鑓水出身の商人が生糸取引で財を成しました。投機的な商いのためか、資本の蓄積前に没落したようです。 |
八王子市絹の道資料館には一瞬輝いた鑓水のようすが展示されています。ベアトが写した鑓水の写真も多く残っています。 |
絹の道から鮎の道。八王子市と町田市の境界に延びる都立小山内裏公園から、谷戸を利用した八王子市立長池公園。 |
最後は中国の万元戸村がつくったような京王堀之内で解散。 |
歩き 17.5km。 |
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幕末から明治、軍艦vs砲台 が戦争の肝だったころ関門海峡には多くの砲台が築かれました。スタンフォード大図書館で公開されている、明治期の1/10000地形図(下関要塞近傍図)を参考に、いくつか尋ねました。 |
古城山砲台。関門海峡と周防灘を共に見渡せる位置。榴弾砲の並んでいた場所は駐車場。 |
三角点のある山頂には門司城碑と共にコンクリート製の遺構が残っています。 |
塹壕のような作り。砲弾の観測所でしょうか。 |
周防灘へ向かった平坦地には、頑丈な建造物が現存します。 |
門司砲台、門司兵器修理所あたり。 |
門司砲台の跡地には関門トンネル人道のエレベータ建屋が建っています。 |
海上保安庁の船が停泊しているあたり、今のノーフォーク広場は門司兵器修理所。 |
実際の戦闘が行なわれたのは、源平の戦いと幕末の四国連合艦隊下関砲撃事件。フランス宣教師が明治28年に建てたフランス水兵戦死者の慰霊碑。 |
関門トンネルを抜け下関。これは、フランス軍に鹵獲された天保長州砲のレプリカ。 |
下関市街を抜け北上すると金比羅砲台。 |
広大な砲台陣地でしたが、公園になっています。案内板はありません。 |
土地の人に教えてもらった唯一の遺構(排水口?)。内部にはレンガが使われています。 |
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徳島の山間、川筋の集落とは隔離された高地に集落が点在しています。"すごい" とは言え、当然ながら車道が通じています。車道が通じていない集落 "つるぎ町十家" を知ったのは2015年夏の見ノ越からの下り。ようやく訪れることができました。 唯一の交通機関であるモノレールは住民専用なので、麓に自転車を止め歩きで行ってきました。 |
1950年には40世帯200人の集落。現在は、ほとんど空き家。かつては、たばこ栽培が盛んでした。 |
モノレールは協同組合で管理し、組合員(住民、元住民)が利用できます。斜度は最大斜度 38度。 |
モノレールに沿って登り、緩斜面になると突然現れる茶畑。手入れが行き届いています。 |
おそらく、元居住エリア。 |
果樹園。 |
終点と思いましたが間違い。今回、歩けたのは集落下部だけ。再訪の要あり。 |
放棄されて日の浅い廃屋。軒の歪みもありません。 |
道路はありませんが、電気は来ています。電話線もあり。スマホも通じました。 |
剣山方面。下界の道路は見えません。当然、道路からは、こちら側も見えない別世界。 |
家の資材をどうやって運んだのだろうか。もっとも、昭和前半まで車道の通じていない村は珍しくなかったはず。 |
この2軒は、生活感がありました。たまに、来ているのでは。 |
道路が通じていないと、家の周りも道路なし。目にすると納得ですが、想像できていませんでした。 |
136.09km、8h00m (帰路、鳴滝から迷い込んだ吉良の山越えは別報) |
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行きは勝浦川から那賀川へ転じるルート。加茂谷鯉まつりの幟を見て、潜水橋を渡り那賀川北岸へ。 |
深瀬八幡神社では五月人形展。地元の人のお話しでは、鯉まつりは30年続く。始めた当時40歳台の主要メンバーも70台。後継者も減り、鯉のぼりも少なくなった。五月人形展は7-8年前に始めた人形供養。 |
那賀町阿井から登坂。廃校になった平野小学校。精気があったので現役と思いましたが、現在はグループホームとして使用されているようです。外壁は木頭の焼杉。 |
相生を過ぎ、西納の八面(やづら)神社。昼食は地元のちらし寿司とはんごろし。はんごろし、wikipedia にありました。"徳島県那賀町で作られている、もち米にうるち米を混ぜたものを半分だけ潰して作った郷土料理のおはぎ" |
神事なので、先ずはお祓い。地元の那賀高校には人形浄瑠璃部があります。 |
舞台は拝殿から見下ろす位置にあります。 |
隣に座ったおばあさんからの聞き書き。 ・昔は集落ごとに舞台があった。 ・私の村の舞台には格納式の花道もあった。多くは取り壊したり、公民館になってしまった。 ・冬の間は農作業がないので、みんなで芝居を練習した。私は、三味線を習った。林業が盛んな頃は豊かだった。 ・上手い役者は、隣接の村々から声がかかった。 ・人形浄瑠璃はやらない、やったのは歌舞伎。 |
河岸の野良杉を伐採して視界が広がった那賀川。 |
帰路、人気のJA直売所「あいさい広場」へ。新築の大きな店舗になっています。 |
好天のGW、四国一周らしき自転車乗りも見かけます。袈裟にタイヤ、据置型空気入れを持つ猛者。あぶない人かとも思いましたが、お話しすると静岡からの好青年。自転車の知識は少ないですがツーリングも2回目とのこと。荷物が増えるのを気にしない武士でした。一周の完遂を祈ります。タイヤはそのまま持って帰ることでしょう。
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103.89km、5h46m |