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幕末から明治、軍艦vs砲台 が戦争の肝だったころ関門海峡には多くの砲台が築かれました。スタンフォード大図書館で公開されている、明治期の1/10000地形図(下関要塞近傍図)を参考に、いくつか尋ねました。 |
古城山砲台。関門海峡と周防灘を共に見渡せる位置。榴弾砲の並んでいた場所は駐車場。 |
三角点のある山頂には門司城碑と共にコンクリート製の遺構が残っています。 |
塹壕のような作り。砲弾の観測所でしょうか。 |
周防灘へ向かった平坦地には、頑丈な建造物が現存します。 |
門司砲台、門司兵器修理所あたり。 |
門司砲台の跡地には関門トンネル人道のエレベータ建屋が建っています。 |
海上保安庁の船が停泊しているあたり、今のノーフォーク広場は門司兵器修理所。 |
実際の戦闘が行なわれたのは、源平の戦いと幕末の四国連合艦隊下関砲撃事件。フランス宣教師が明治28年に建てたフランス水兵戦死者の慰霊碑。 |
関門トンネルを抜け下関。これは、フランス軍に鹵獲された天保長州砲のレプリカ。 |
下関市街を抜け北上すると金比羅砲台。 |
広大な砲台陣地でしたが、公園になっています。案内板はありません。 |
土地の人に教えてもらった唯一の遺構(排水口?)。内部にはレンガが使われています。 |
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