室戸岬、2回目。前回はナショナル自転車サイクラースピード号で行きました。 始発のJR牟岐戦で海部(かいふ)まで輪行し、R55を南下。太平洋に朝日が昇ってきます。 |
このあたりの民宿のターゲットは、不思議な取り合わせとなるようです。会話とかするのでしょうか。 |
夫婦岩を過ぎ、三津から室戸岬の尾根道(室戸スカイライン)へ向かいます。三津坂トンネルには、延長475mの自転車トンネルが併走していました。 |
前回は最御崎寺のYHに泊まりましたが痕跡はなし。廃墟マニア垂涎のスカイレスト ニュー室戸。 |
灯台へ向かう道には、「横須賀軍港水道」で見た海軍境界石(右下)とそっくりの波マークが。これ、謎です。 |
室戸岬の先端あたりは、気候がちょっと違います。 |
三津からは同じ道になるので、旧道を走り阿佐海岸鉄道甲浦駅。冬ホタル号で2駅走り海部へ。海部駅は跨線橋がなく、並んだ列車の前を通って乗り換えます。 |
98.91km、5:53 |
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香川県西部の七宝山、観音寺、庄内半島を、や まさん のスポルティーフのお披露目を兼ねて回ってきました。 東京よりずっと冷え込みが厳しい四国徳島ですが、今日の最低気温は 6度、何とか体は動きます。や まさん邸から車で平成の大合併で誕生した三豊(みとよ)市の総合運動公園へ走りデポ。恥ずかしい市名が目立つ四国ですが三豊は旧郡名。ただし、明治期に三野郡・豊田郡の区域をもって三豊郡が発足とのことなので、元はいわゆる合成地名です。 |
おにぎり状の山が点在する開けた盆地の高瀬から観音寺との市境の七宝山へ。山頂の高屋神社からは燧灘と観音寺市街が望めます。 |
観音寺市街へ下り、琴弾(ことひき)公園へ。銭形砂絵は見に来た記憶がありますが、いつのことか、思い出せません。ここには、観音寺(第69番札所)神恵院(第68番札所)が並んでいますので、お遍路さんにはお得感があるかも。 |
次いで、庄内半島へ。先端部の紫雲出山(しうでやま)からは、山陽路が指呼の間、瀬戸大橋も真横から見えます。 |
さて、2年待ちで完成したと言う、や まさんのスポルティーフ。主要パーツは持ち込みとのことです。 フロントキャリヤ、泥除け、センタープルブレーキ、 変速はダブルレバーで革サドル。スポルティーフの王道ですが、べダルはビンディングに付け替えた上、700×28Cをロードなみの高圧にしているのは、いかがなものか(笑)。ついていけずに、ちぎれまくります(泣) |
庄内半島を備後灘側に抜け、詫間海軍航空隊の遺構から津嶋神社。最後は、夜間走行でデポ地に帰り着きました。 |
79.03km |
私が最初私が最初に買ったスポーツ車は、スポルティーフ系です。ナショナル自転車 サイクラースピード/B-10S2D、43000円。 |
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この12年で、琵琶湖疏水の取入口から三栖閘門で宇治川に合流するまで、概ねたどった気がします。流れに沿って整理してみることにします。 |
2014/5/3 大津の取入口から第一トンネル呑口(東口)。トンネルの扁額「気象萬千」は伊藤博文揮毫。 |
2002/1/5 2002年の画像はエプソンの81万画素。 山科の諸羽トンネル吐口(西口)から天智天皇稜、第二トンネル呑口、扁額「仁以山悦智為水歓」は井上馨揮毫。第二トンネル吐口。扁額「随山到水源」は西郷従道揮毫。 |
2002/1/5 日本最初の鉄筋コンクリート(RC)橋。第3トンネル呑口、扁額「過雨看松色」は松方正義揮毫。日向大神宮から御所水道ポンプ室。 |
2002/1/5 蹴上インクライン。粟田口隧道のねじりまんぽ、扁額「雄観奇想」は北垣国道揮毫。 |
2014/5/3 蹴上インクライン跡は、新しい写真も。 |
2014/12/1 岡崎から聖護院。京都市水道疏水事務所から宇治川分水口。 |
2014/12/2 東海道線を南にくぐり、疏水を "いちのはし" で渡る。前方はJR奈良線。 |
2014/12/3 墨染(すみぞめ)。ここもインクラインがあった場所ですが、後から知りました。ここで、新高瀬川に分水し、疏水は濠川と呼ばれるようになります。橋柱には、濠川や堀川と書かれていました。 |
2014/12/3 ほとんど枯れ川となっている高瀬川と合流する伏見は大型船から高瀬舟への積み替えが行われていました。ちなみに、舟が先。高瀬舟にちなんで高瀬川と命名したとのことです。 |
2014/12/3 最後は三栖閘門で唐橋から瀬田川として流れ出る宇治川と合流し、琵琶湖の水は再度一緒になります。 |
ルートラボでの水路の長さは 22.1km。 開渠部で歩いて(走って)ないのは、山科駅の東の 1Km ほどです。 |
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京都最終日。深草の宿を出て、先ず師団道路を南下。かつては、ホテルが建っているのは京都練兵場で、野砲兵第二十二聯隊、輜重兵第十六聯隊と続いていました。 |
信号待ちで右手を見ると「撞木町廓入口」(しゅもくちょうくるわ)の石柱。大石内蔵助が敵を欺くために遊興し計を練った遊郭跡で、コアな忠臣蔵マニアが訪ねてくるとのこと。何気に、何かがあるのが京都。 |
琵琶湖疏水末端の伏見の堀川(濠川)に沿って伏見湊へ。かつては、宇治川水運と高瀬川、琵琶湖疏水(鴨川運河)のハブ港でした。 |
伏見は京都とは別の街で、土佐藩、薩摩藩、長州藩の藩邸がありました(いずれも案内石柱のみ)。旅籠寺田屋(跡地は右の庭)。日本酒の工場が建ち並んでいます。 三栖閘門(みすこうもん)資料館では、治水関連の面白い話を伺うことができました。 |
新高瀬川合流点では、宇治川の水位が低く新高瀬川との往来が出来ないことがわかります。宇治川を下っていますが、前方には狭窄部が見え、雰囲気的には上流へ向かっている感じです。 |
淀大橋で宇治川を左岸に渡り、次いで木津川を御幸橋で越え、民家の中の道を石清水八幡宮へ。ここ八幡(やわた)市と読むことを初めて知りました。 |
4日前に Red Bull Holy Ride が駆け下りたのはここ。官幣大社の表参道で MTBレースを行うなんて、神社の間口の広さに感心します。 |
時間が押していますが、追い風に乗って宇治平等院へ。昨年来た時は改修中だったので、初めて(たぶん)見ることになります。もう、終わりと思っていた紅葉が、真っ盛りでした。これは、大きなサプライズ。(紅葉画像は稿を改めて) |
ゆっくりしたいところですが、新幹線に乗る前に、いつも大行列であきらめている京都駅東塩小路の「本家第一旭」へ行かねばなりません。4時過ぎに着けば、行列もないでしょう。昼飯を抜いて万全の構えです。 黄檗(おうばく)、木幡(こわた)を越え、桃山からは京町通を北進、竹田街道で京都駅着。跨線橋を渡り塩小路へ。 |
48.70km、3:23 |
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深草の宿へ着いた後、歩きで夜の伏見稲荷へ。いわゆるライトアップは行っていませんが、オープンが基本の神社、危険がない程度の照明はあるとのことです。 |
前回来た時より時間があるので、稲荷山中腹の「四ツ辻」まで上ってみました。上っている人も、幾人か見かけました。暗闇の中からのねこの鳴き声にはビビります。 |
下りで一緒になったのは、上海から観光で来た中国人の若者。関空に入って、成田から帰るとのこと。広告の仕事をしている青年で、英語も上手い。同世代の日本人よりは、頭の回転も度胸もよさそうでした。 |