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かつて部下だったKくんと中野で飲み。 都心へは駒沢通りを走ることが多いですが、今日は中野なのでR246。国土交通省がプレス発表までしたR246の自転車レーンは、こんなもの。そもそも路肩がないのが問題か。 |
交差点を直進する(横断歩道へ誘導しない)のは進歩です。 |
三軒茶屋から茶沢通りを北上。用水をいくつも越えていきます。烏山用水は暗渠。 |
北沢用水(北沢川)も暗渠(下水道幹線)となりましたが、今は代沢せせらぎ緑道として高度処理水を流しています。 |
かつては、北沢中あたりまで細い谷戸田が伸びていました。玉川上水は笹塚駅の暗渠部で横断。 |
地割から田んぼの跡が読み取れます。 |
神田上水も、このあたりは自然河川として、田んぼの中の低地を流れています。 |
氾濫域(田んぼ)が無くなったので、川はこんな形になりました。 |
Kくんとは12年ぶりでしょうか。すっかりオッサン体型になっています。 |
深夜の帰路は荒玉水道道路。多摩川の水を砧から野方へ引く10kmの直道です。 |
44.75km |
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神奈川スリバチ学会のフィールドワーク 「小田原城総構を歩く」 に参加しました。スリバチ学会は東京、多摩武蔵野、千葉、埼玉、名古屋にあるようで、多摩武蔵野に続いて2つ目の参加になります。 小田原は、当時早川に別宅があったオーストラリア人の Gusさんに丁寧に案内してもらってますが、英語がわからなかったので上の空でした (汗) |
12時 小田原駅集合。総勢28名。今日は城マニアの蔡くんと一緒です。彼、午前中に石垣山城へ行ってたようです。さてさて、スリバチ学会、傾斜は見逃しません。
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童謡『めだかの学校』の題材になったと言われる荻窪用水。早川から取水し、小田原市荻窪へと流れる全長約10.3kmの用水路で、江戸後期に水田開発のためつくられました。
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総構城下張出。総構とは、城の外側の町屋を含めて堀と土塁で囲んだ城郭の外郭で、秀吉の小田原攻めに備えてつくられました。
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城下張出(上から)
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総構山ノ神堀切。これは、尾根を分断したもの。
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天守までは、2km弱。
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小峯の大堀切。
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三の丸外郭新堀土塁から早川を見下ろすスリバチ学会員(^_^)
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鉄系の遅延行為(笑)の後、隘路を抜け東海道から早川口遺構へ。
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最後は、この5月(2016年)にリニューアルオープンした小田原城天守閣。二の丸観光案内所(旧小田原町図書館)は、昭和8年竣工。たぶん、帝冠様式です。
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9km(歩き) |
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多摩武蔵野スリバチ学会のフィールドワーク 「柴崎分水と立川崖線を歩く」 に参加しました。 集合場所は立川から2駅の青梅線東中神駅。スリバチ学会は柔構造で、会員と言う概念がありません。facebookで集った27名で歩き始めます。 ここは、クジラ押し。1961年に、市内でほぼ完全なクジラの化石が発見されたとのこと。当時は、世界初とかで盛り上がったようです。 |
駅から500mほど歩くと、1942年(昭和17年)に陸軍航空工廠の従業員住宅として造られた八清(はっせい)住宅のロータリー。八清は、請負業者「八日市屋清太郎」からとったもの。戦前のニュータウンです。 |
このあたり、1944年に廃止された五日市鉄道(南武鉄道に合併後、戦時買収)の路線が通っていました。 |
そのまま歩くと崖の上。崖際にある福島(ふくじま)神社の装飾は力強い。 |
稲荷神社の、大きな社務所は地域の集会などで使われているのでしょうか。都心まで近いわりには、地域の結びつきが残っているのかもしれません。昭島市から市境を越え、立川市歴史民俗資料館へ。立川飛行機で2機作られた、立川 A-26長距離機。A は朝日新聞のA。 |
東京都住宅供給公社の富士見町団地(1968年入居開始)の周りで、昼食。 |
崖線下の残堀川。昭和5年発行の1/25000地形図には、発電所、水車の地図記号が描かれています。 |
崖を上り、玉川上水から分水してきた柴崎分水をたどって行きます。庭先を抜け中央線を渡り、微妙な勾配で張り巡らされています。ゆるい上り坂にそって、水路は下っている場所もあります。エッシャーのだまし絵風です。 不思議な所作ですが、人通りが少ないのが救いです(笑) |
その後、崖線下を流れる根川などアクターが増え、それが一旦暗渠となり・・・。難しくなってきます。 |
最後は多摩モノレール柴崎体育館駅で解散。立川での反省会へ。今回も、ルートのトレース、不正確です。 |
14km(歩き) |
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北上川が、追波(おっぱ)湾へ注ぐ本流の(新)北上川と、石巻へ流れる旧北上川に別れる柳津あたり。1913年(大正2年)測図の地図と現在の地図を比べて見ると、柳津(やないず)の街が移転し流路が作られたことがわかります。 |
北上川歴史公園の案内には、明治43年の大水害を受け、柳津-飯野川間12kmを開削し追波川を広げたとあります。 |
矢印の方向に、新北上川が開削されました。 |
旧北上川への分流を調整する鴇波洗堰(ときなみあらいぜき)、鴇波水門。 |
脇谷閘門(わきやあこうもん、1931年竣工)、脇谷洗堰(1917年竣工) |
柳津大橋から下流方面。橋の真下に柳津の街がありました。 |
1913年(大正2年)の柳津。 |
1951年(昭和26年)の柳津。 |
北上大堰あたり。開削工事前の地図との比較からわかるように、歴史的には今の河道を流れていたこともあるようです。 |
飯野川(地名)で、追波川と並流するようになります。写真は上流方向。右の高い堰堤が北上川。 |
河口方向。右が追波川、左が北上川。津波の改修工事が進んでいますが、北上川本流の水を追波川へ直接繋いだのではなく、別の河道を開削したことがわかります。 |
追波川と北上川の合流地点。水門で水位を管理しています。 |
大川小学校の横から河口方面。ここから河口までは3km、津波の跡が厳しく、この先で引き返しました。 |
1997年(平成9年)修正の1/50000地形図を見る |
(2016/4/26) 北上川河口、大川小のある釜谷地区と雄勝湾に面する雄勝地区の間は、R398の釜谷トンネルで結ばれています。1986年竣工、延長995m、ダンプの多く走るなか、路肩の狭いトンネルは走りたくありません。 |
旧道にあたる釜谷峠を越える計画でしたが、分岐点から荒れています。通行止めの標識はありませんが、抜けられるか否か、不安が過ぎります。 逡巡していると山菜採りのオヤジが下りてきたので相談すると 「倒木、崩落箇所が多いが、峠までは行ける」 「その先は知らないが、雄勝側に休止中のゴミ焼却場があるので、その下は車も走れるだろう」 「釜谷トンネルで自転車に遭遇することがあるが、あれは危ない。ダンプに吸い寄せられてる」 とのこと。自転車に乗らない人の「行けるだろう」は、余裕で行ける場合が多いので、峠越えに向かうことにします。 |
すぐに高度を増し、国道を眼下に北上川が見えてきます。 |
倒木。ずいぶん本数が多いんだが。 |
路肩も至る所で崩れています。 |
道端に好物の "こごみ"。ひと月早ければ食べごろだったかも。 |
危険箇所。担いだ自転車は中空です、 |
なんとか、峠到着。河北町側には通行止めの標識。河北町は、2005年4月に石巻市に合併しています。震災以前から通行止めだったようです。 |
雄勝町(同じく、2005年4月に石巻市に)の標識も通行止め。 滑落する危険があったのは一箇所ですが、太い倒木は延べ20本以上ありました。 |
無事、国道と合流。関東近辺の人の話だと大げさに感じることが多いですが、極めて的確なサジェッションでした。ありがたいです。 |