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昭和12年6月発行の 1/50000 地形図「父島」には、2ヶ所に "経緯度測點" の注記があります。離島だと三角測量をつないでいく訳には行かないので、天体測量が必要なのでしょう。 「経緯度測點」の用語を使用していたのは内務省地理局か海軍水路部と推測しますが、国土地理院や陸地測量部の資料にもない "点" なので現地へ探しに行ってみました。現存するのでしょうか? |
1ヶ所は自衛隊基地内なので、近づけるのは扇浦の小笠原神社付近。 |
地図記号の「記念碑」の周辺。小笠原の領有の決め手となった碑が並んでいます。 小笠原新治碑(にいはりひ)。1862年に幕府調査団の乗る咸臨丸で送られてきました。「文禄2年(1593)に小笠原民部少輔貞頼が発見し、その子孫宮内貞任が享保13年(1728)開拓のために渡海を計画したが果たせませんでした。この度幕命により水野忠徳、服部帰一常純らが渡島するに及び、この碑文を記す」といった内容が記されていますが、幕府は小笠原貞頼の発見を伝える「巽無人島記」が偽書であることは知っていました。 東京都教育委員会の英文では "Monumetnt of declaration of Japan's territoriality" 「日本の領土宣言の記念碑」となっています。 |
小笠原開拓碑。1877年建立。幕府による入植は、生麦事件での報復(英国の侵攻)を恐れて中座したため、明治政府が日本統治の再興を宣言。 |
小笠原神社(貞賴神社) |
ここにも新しい、無人島発見之碑(東京都、1993年) 小笠原貞頼伝説を、「・・などと伝えられている」として正面に表記。もう、しらばっくれて時代を遡る必要もないと思うんだが。偽書と依りどころとする限り、正当な発見者であるの阿波浅川の勘右衛門らは浮かばれない。 |
さて、 "経緯度測點" 見通しが効く場所へ上ってみると。 |
時代が新しい気もするが、天体観測用の器具を置くには丁度いい感じ。 |
帰納法的には、これを測量遺構として間違いなし? |
Kです!
一応測量士ですが「経緯度測點」知らないですね~ レンガ済みの物は上の部分が破損してしまったのかな?測量標は御影石の標柱に十字を刻みが基本です。
因みに地図上で緯度経度&測地成果2011が解るサイトはこれです。https://vldb.gsi.go.jp/sokuchi/surveycalc/surveycalc/bl2xyf.html
えっ、Kさん測量士なんだ! 速い測量士だ(^_^)
明治初めに、日本本土8ヶ所で天文観測による経緯度測量を行っており、仙台愛宕神社に経緯度測点の標石が残っています。それ、たぶんトップが御影石です。言われてみれば、何か剥がれたっぽいですね。もう一度、行ってみる・・・訳にいかないのが辛い。