青春18きっぷ4回目は、後閑駅IN、敷島駅OUT で、沼田の河岸段丘と赤城山麓の田切地形を体感。 |
始発で出て、上越線後閑駅 9:12。 |
同じ列車で来たマウンテンバイカー。最新機材は昔とは大違い。前輪フォークは片持ち。フロントシングル、リアはビッグギア。いい林道があるらしい。 |
沼田まで下り、利根川地蔵橋から。沼田駅は下の段丘、市役所は上の段丘。駅の標高は333m、市役所は415m。 |
駅前から東へ走るとすぐ滝坂。車道はトラバースぎみ。輪行オリエンテッドの DAHON K3 なので、迂回路といえども途中から押し。 |
人道は屋根付き階段。公道かどうかは不明。 |
滝坂の途中から。けっこうな市街ですが、官公庁のあるメイン市街は背中の段丘上。 |
沼田城址。真田信幸時代の石垣。五重の天守もあったらしい。 |
沼田小学校講堂記念体育館。現役の市営体育館。柔道場・卓球場・重量挙場。1時間 520円。 |
段丘を下り、片品川を渡ると昭和村。 |
日陰を見つけて携帯食でお昼。清雲寺楼門。楼門の不可解な位置からすると、かつては大伽藍だったのかも。 |
赤城山麓の台地へ上り、戦後の食料増産、復員引揚者対策で開墾された昭和村の畑作地帯へ。保水力のない大地、大雨での畑の流亡に苦労が絶えなかったらしい。右(山側)のような照葉樹林を開墾したのでしょう。左はこんにゃく芋。 |
明治末の地形図だと、台地下部が桑畑、上部は樹林帯。 |
鋭い田切地形。左上に少し見えるのが畑地。いきなり切れ落ちる。 |
谷底。湿っぽい。 |
田切地形の3D。 |
谷底を利根川方向へ。関越道が台地面。 |
綾戸ダム。ダム本体でなく取水口。ここで水流を弱め土砂を沈殿させる。 |
群馬県道255線(下久屋渋川線)高岩隧道手前から。上越線第四利根川橋梁。下り線は上路式トラス、上り線は下路式トラス。 |
棚下の上越線第三利根川橋梁。 |
赤城村立棚下小学校。明治28年(1895年)開校、1998年閉校。ご成婚記念とある門柱は昭和天皇の成婚(1924年)。地形どおりの地名。 |
利根川屈曲部。対岸は渋川市。 |
敷島駅から輪行帰宅。小さな駅なので、パッキングからホームまで15m。 |
35km |
1/200000「日光」昭和12年発行 <Stanford Digital Repository> |
始発で出て東北本線矢板駅着は 8:35。青春18きっぷなので鈍行で3時間半。この期に及んで真夏の日差し。 |
廃線跡をたどって西へ。汽車が上れる勾配は自転車でも上れます。1/50000「矢板」昭和6年発行。 |
矢板市街。南北にまっすぐ延びる通称「横断道路」とは立体で交差していました。高架部分の遺構。 |
1929年 下野電気鉄道により開業。その後、1943年東武鉄道が買収し東武矢板線となる。1969年 廃線。 内川に架かる「とうぶはし」、橋は付け替えられていますが、橋名に残照が。幸岡(こうおか)駅跡。拡幅されていない廃線跡。 |
左下の窪地に線路と弥五郎坂トンネルがありました。並走する車道は切通し。 |
芦場駅のホーム跡。 |
道の駅で昼食。食堂もあしましたが、(地元でとれない)蕎麦の店だったので、直売所で地の物を購入。道の駅が数少ない食堂となっている地域は、地元の人が食べに来るので、却って地産品が少ない。 |
道の駅湧水の郷しおや「交流館」にあった東武矢板線の写真。 |
走れない廃線箇所。 |
東武鬼怒川線、新高徳(しんたかとく)駅に到着。矢板線遺構か。 |
鬼怒川中岩橋から。道谷原取水堰、1920年につくられた発電用取水堰。 |
橋脚の様な石積みは謎。取水堰とは別の建造物です。 |
今市からの旧日光街道を日光駅へ。 |
国鉄日光駅。1912年竣工。 |
駅舎2階の一等車客の待合室。 |
青春18きっぷなので、JR日光線、上野東京ライン、南武線で帰宅。 |
42km |
旧陸軍が帝都防衛に使っていた調布飛行場のまわりには、いくつか掩体壕が残っています。 大沢1号掩体壕。 |
陸軍の飛燕を格納していました。 |
大沢2号掩体壕。 |
人が集まっているので何かと思えば、パラリンピック開会式の予行で、入間基地を飛び立ったブルーインパルスが上空に飛来。 |
スカイツリーあたりでターンし3周回。 |
飛行場に隣接する近藤勇の養子(娘婿)となった近藤勇五郎の天然理心流「撥雲館」。道場建屋は1932年改築。 |
1966年(昭和41年)発行 1/25000。カントウ村は、1964年の東京オリンピックに際し返還された代々木ワシントンハイツの代替地。飛行場地区の返還は1973年、カントウ村返還は1974年。 |
民有地に残る掩体壕。 |
白糸台掩体壕。 |
帰路の稲城大橋から。 |
40km |