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DAHON K3

DAHON K3
2019年購入。14 inch,7.8kg,3速。

KHS F20-R451

KHS F20-R451
2015年、台北で購入。そのまま阿里山、塔塔加へ。

KHS F20-T3

KHS F20-T3
2012年、台北で購入、そのまま中部横貫公路越え。

Bianchi Lupo

Bianchi Lupo
イタリア製と思いきや台湾製。基本パーツはSHIMANO TIAGRA。クロモリです。

KHS F20-T2

KHS F20-T2
2009年、台北で購入、そのまま一周。けっこう走れます。2019年、退役。

mayfly 2

mayfly 2

MARIN Pine Mountain

MARIN Pine Mountain
1992年 米国製。SHIMANO DEORE DX は25年間ノートラブル。2017年、退役。
 
 

元荒川、始まりから終わりまで

2024年3月14日木曜日

平日の朝、8:04 熊谷駅着。意外にも、下りの大宮~桶川間だけ座れませんでした。吉田初三郎の熊谷市鳥瞰図(1936年)
元荒川源流部。江戸時代初めに伊奈忠治によって付替られた地点から300mほど下流。
(国交省荒川上流河川事務所の解説)
江戸時代の1629(寛永6)年に計画されたのが、荒川の流れを変えてしまおうという大改修。これは熊谷市久下付近でそれまでの流れを止めて南側に河道を掘り、入間川の支流へと合流させるという大がかりな工事でした。
荒川の流れを埼玉平野の東部から離すことで、今まで頻繁におこっていた洪水をなくし、水田地帯を守るとともに新田開発も促進しました。さらには木材を運ぶ舟の道を確保するという目的もあったようです。
荒川土手と、土手下の熊谷市ムサシトミヨ(絶滅危惧種の淡水魚)保護センター。このあたりで、元荒川の上流部が(人為的に)争奪されました。
上流を奪われた元荒川は、利根川水系の中川支流として一から出直し。長さは60.7km。
鉄道ができる前は中山道と荒川舟運で栄えた久下(くげ)村。荒川河川敷は一面桑畑。
鴻巣市に入りさくら緑道。元荒川の土手は、この後も桜並木が断続的に続きます。川岸の各市がそろって植えたのかも。老木が多かったです。
柴山伏越。江戸中期(吉宗のころ)につくられた見沼代用水がサイフォンで元荒川の下をくぐっています。元荒川は背中側。
蓮田市川島の久伊豆神社。元荒川流域に多数(40以上?)鎮座しています。
さいたま市岩槻区。元荒川水管橋。「渡れる水管橋」
東武野田線、元荒川橋梁。
大野島水管橋。ここも「渡れる水管橋」
武蔵第六天神社。境内から下ると河原。
末田須賀堰。灌漑期(4月から9月)に水位を上げ、右岸に13か所、左岸に16か所ある農業用水へ水を流します。
宮内庁埼玉鴨場。内外の賓客の接遇の場として使用されているとのこと。
左が宮内庁埼玉鴨場。
越谷のまちを抜け、瓦曽根(かわらぞね)の土手道。左が元荒川、右が灌漑期には水位を上げ葛西水道へ水を流す瓦曽根溜井。
元荒川、おしまい。
左が元荒川、右が中川。中川に架かる吉川橋から。
大相模調節池。洪水時に元荒川から導水して、豪雨が去ったあとに中川へ排水するピークカットが役目。池のまわりは越谷市レイクタウン(これ、正式地名)
瓦曽根溜井が元荒川と分離される前。逆川は元荒川と合流している。1/25000「越ヶ谷」昭和3年測図、昭和5年発行に加筆。
現状。逆川は元荒川をサイフォンでくぐり、直接葛西水道へ流れる。瓦曽根溜井の跡に市役所ができました。
75.7km

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