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| 盆地である埔里からR14。台湾地理中心、鯉魚潭に寄り道して霧社へ。今日は、映画「セデック・バレ」の聖地巡りです。 |
| 抗日英雄莫那魯道(モーナ・ルダオ) |
| 霧社原住民抗日群像。 |
| 霧社からは濁水渓沿いに廬山温泉へ向かいます。霧社水庫の上流側。 |
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花岡一郎、二郎縊死処。事件の後、日本による教育を受け警察官、警手となっていた二人は、家族と共にここで自殺しました。セデック族の Gaya (日本語の義理)のためと書かれています。(春陽) 古い雲龍橋(左)の旧橋「斯固鐵線橋」は、モーナ・ルダオが抗戦のため落とした橋。(斯固) |
| 川縁の廬山温泉到着。営業していないホテルも多く、寂れた感じがします。この近辺が事件の終焉の地。 |
| 地図上では狭い範囲ですが、高低差が半端ないです。 |
| 莫那魯道紀念碑。 |
| 古戦場巡りの道。紀念雕像。 |
| 台湾中央研究院人社中心地理資訊科學研究專題中心の素晴らしい旧版地図サイト 台湾百年歴史地図 で見ると、廬山温泉が莫那魯道(モーナ・ルダオ)が頭目を務めたマヘボ社だったことがわかります。 |
| 宿は前日にネット予約した正揚大飯店。露天風呂も広く、ドクターフィッシュもいました。晩飯は鹿肉。 |
| 廬山温泉は「天下第一泉」として脚光を浴びたこともありますが、2008年の水害で大きな被害を受け、温泉街まるごとの廃止(移転)が決まっているとのことです。廃屋や更地が目立つのは、そのためでした。 |
| 49.88km、4h53m |
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サイクリング再開。今日の目的地は埔里ですが、向山遊客中心の建屋を見るため日月潭まわりで行くことにします。 走り出してすぐ、2年前に見に来た台中図書館。始めて台中に来た時は、放射状に延びる道の感覚が掴めず、宿に戻れなくなり少年に先導してもらった情けない経験がありますが、だいぶ慣れてきました。 集集線濁水駅からは路線沿いに走ります。 |
| 新集集トンネルに「自転車通行することなかれ」との標識があったので、迂回すべきか迷っていたところ、山越えで花蓮の実家へ行くというオヤジが通りかかり、「大丈夫、大廻りになるから行こう」とのことで一緒に走ります。米国企業で働いていたので英語がうまい。昼飯、ご馳走になりました。 |
| 一時は廃線の危機にあった集集線ですが、駅のまわりは賑わっていました。駅舎もかっこいい。 |
| 日月潭まで淡々と上り、湖畔西側の自転車道で半周。2012年に東側を走っているので、一周したことになります。 |
| 日月潭 向山遊客中心(向山ビジターセンター)は團紀彦設計。2011年の台湾建築賞。 |
| 台湾産のコーヒー頂きました。130NTD。コーヒーはベトナムの圧勝だな。 |
| 埔里にある中興大学実験林管理処は、元の北海道帝国大学演習林弁公室で、文化資産局の歴史建築に指定されています。 |
| 中心部にある歴史のありそうな宿を取りましたが、特段の物語は無いようです。1000NTD。夕食は、伝票をチェックする方式だったので、字面で選び、招牌滷肉飯、金瓜炒米粉、皮蛋豆腐。〆て125NTD。 |
| 94.54km、6h07m |
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今日は、台中オペラハウス。歌劇の無い日も入れるので、午後半休を取ってくれた旧知のCさん、Aさんに案内してもらうことにします。 ホテルから近いので歩き。落書きまで・・、日本語の過度の使用はいかがなものか(笑) 待ち合わせは前回と同じ台中市政府警察署。お二人の職業は未詳ですが、バークレー留学帰りと声優オタクです。先ずは、台中市政府庁舎。 |
| 中央が通路になり、公園と一体化しています。 |
| 内部。真ん中で分けれているので、これが2セットあります。 |
| 昼は鼎泰豊台中店。台北本店は日本人が大半のようですが、ここでは見かけません。やはり、小籠包はピカイチでした。食後は春水堂でタビオカミルクティー。日本のオタクだとカップラーメンを食ってるイメージですが、台湾のオタクは鼎泰豊のメニューに詳しかったです。ただ、私の日本語をCさんの為に訳すのはいいが、英語も訳すのはやめて欲しい(泣) |
| さて、伊東豊雄設計の国家歌劇院。伊東は台湾で人気が高く、松山文創園の台北文創大樓も設計しています。 |
| 調度品も伊東事務所で設計しました。 |
| 施工が難しく、ずいぶん工期も延びました。専門家の評価は分かれるようですが、どこを切り取ってもすごい。一度は来るべし。いきなりコンサートだと気が散るので、下見が必要なレベルです。 |
| 9kmくらい(歩き) |
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| 昨夜の宿。フルーツと本格的なお茶いただきました。主人は何も触れませんでしたが、昭和16年の遭難者救助の賞状が飾られていました。日本人でなく、台湾人を救助して表彰されてるのは喜ばしいです。 |
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予約してある台中のホテルに朝10時に着き、台北で会ったE女史と再会。彼女の生家は台中の旧大和村です。今日のメインは模範郷(旧大和村)ですが、これは別途ポストします。 と言うことで昼食は、丁山肉圓。昔は市場の中にあったが、繁盛して店舗を設けた。ただし、兄弟達が仲違いして、別の店をやってる。ビビアンスーは台中(豊原)出身。 |
| 昼食その2は、伝記正老牌香菰肉羹。デザートは台中一中前の一中豊仁氷。共に昔からある名店。 |
| その後、孔子廟。コスプレイヤーいました。 |
| 台中公園では、台中神社時代から残ってる物など。E女史、ボランティアガイドのオバちゃんより詳しいので、逆に質問受けていました。石柱(何かの台?)は、昔は倒されたままだったようです。 |
| 流石に鳥居は、寝ていました。 |
| 夕刻は、臭豆腐。ここも、E女史行き付けの店。表面がカリッとして、今までで最高の臭豆腐でした。ホテルまで送ってもらい解散。宿が格安なのは、外装工事中だからですが、昼はいないので問題なし。 |
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夜の部は、TOPEKのAさん、Tさんと夕食。ホテルそばの梅川に沿って濱陽路三段の待ち合わせ場所へ。 昨年京都マラソンを走ったTさんは、今日も台北でのフルマラソン帰り。AさんからはTOPEKのパニアバッグ頂きました。お返しではありませんが、Aさん実家の「萬選居」(1873年建造。伝統的な客家建築で閩南式四合院多護龍)に寄付。 |
| 36.47km、2h27m |
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今日は鉄道遺産と文化資産導覧(文化財データベース)に載っている歴史建築物、最後は高美湿地の夕陽の段取りです。上手くいくのでしょうか。 スマホにダウンロードしている Open Street Map を見ると、苗栗駅の南から自転車道が延びているので行ってみると、予想外にハードコース。 |
| 押しを交えて進むと、功維敘隧道。1998年まで使われていた山線の単線トンネルで、「功維敘」の扁額は第4代台湾総督の児玉源太郎によるもの。 |
| 南勢駅までの旧山線跡が自転車道になっていました。トンネルのカラフルなLED照明は、台湾ではよくあること (^_^) |
| 銅鑼駅近くの重光診所。民国38年(1949年)興建とあるので戦後の建築。中、西、日式建築混合。 |
| 次いで三義郷の建中國小日式宿舍。1922年(大正11年)日治時代のもの。手を掛けて修繕しています。建中國小には奉安殿も残っていますが、校内にあるのでパスしました。 |
| 旧山線、勝興駅。一大観光地になってます。行列のできる臭豆腐屋。 |
| 午前のメインは龍騰断橋。1908年竣工の煉瓦製のアーチ橋。1935年の新竹・台中地震で破損。 |
| 橋は西側に新たに架け、断橋として放棄されました。更に、1999年の921大地震によって一部が崩壊しました。 |
| 山線沿いから海線に転じ、こちらは現役の日南駅。1922年(大正11年)建築。 |
| 券売口もマークを台鉄に変えただけで、日治時代のままかも。 |
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大甲渓を渡り台中市清水区。高美湿地には宿が少ないので、清水市街で探しましたが見つからず。不安を残しながら海岸方面へ。風がきついです。 まずは、高美濕地景觀橋。台湾には凝った橋が多いですが、これは極め付き。賛否両論のようです。自転車も通行禁止。 |
| 全体は航空写真で。2016年竣工。風力発電が並ぶ強風地帯、踏ん張って支えています。 |
| 日没が近づいてきましたが、宿が未定。道に案内があった民宿に向かいますが場所がわからず、土地の人にモーターバイクで先導したもらいましたが高い。時間に追われながら海岸から少し離れた宿を確保し、海岸へ戻りタイムラプス撮影開始。 (0:37) |
| 83.20km、5h39m |





























































