標高グラフ付きの大きな地図を見る |
青春18きっぷを使い切るため、吾妻線へ。2年前も、同じ理由で川原湯温泉駅へ行っています。今回は、一駅手前の岩島駅へ。 付け替えられた吾妻線。線路、残っています。八ッ場ダム建設では、延長約10.4kmの線路付替工事が行なわれました。 |
新しい吾妻線の第二吾妻川橋梁。国内最長の中央径間を持つPRC斜版橋。魚梁瀬森林鉄道の二股橋と違って、鉄筋入っています。 |
吾妻渓谷右岸のハイキング道を小蓬莱(見晴台)まであるき、鹿飛橋へ戻って左岸をダム建設現場手前まで。その後、猿橋まで戻り、吾妻峡トンネルで川原湯温泉方面へ。 |
八ッ場ダム正面の見晴台から。完成時の堤高は 116m なので、高さは倍にはなりそうです。木々がじゃま。落葉樹なので、冬に来るべきか。 |
吾妻渓谷から八ッ場(川原湯温泉)へ抜ける山道は厳重に封鎖されていました。川原湯までの距離は 1360m。 |
鹿飛橋からの吾妻渓谷。ここは、紅葉狩りに来るべき場所。 |
猿橋まで引き返し、吾妻峡トンネルを抜けることにします。全長 1769m。歩いて24分。 |
上流側からの八ッ場ダム工事現場。手前、吾妻線の鉄橋はたぶん生コンのパイプラインが通っています。 |
完成時はこうなる。「なるほど!やんば資料館」のジオラマ。 |
歩き 14.4km |
|
鳥瞰ルート動画。2日間に分けて走ったルートをつなげました。 (1:15) |
<安田川中流域 1/50000 「馬路」 昭和8年修正> |
K:釜ヶ谷桟道(昭和2年) 対岸への人道吊橋から。 |
L:釜ヶ谷橋(大正15年) 橋脚の右半分が森林鉄道時代のもの。 |
M:平瀬隧道(明治44年) 県道脇にあるが三角コーンは不要かと。 |
平瀬隧道、内壁。 |
N:五味隧道(明治44年) |
今回の走破ルート(国の重要文化財)で線路が残ってるのは、ここだけ。 |
キャプションに "空トロ犬曳" とある。空荷の下り便は犬が曳くこともあったようだ。 四国森林管理局「思い出の森林鉄道」より |
<安田川上流域 1/50000 「馬路」 昭和8年修正> |
O:河口(こうぐち)隧道。 |
P:犬吠橋(大正13年) 昨年(2016)9月22日に陥没が見つかり改修中。重要文化財ですが、現役の高知県道12号線です。 |
上流側の砂防ダムの上に迂回路があるので、真横から見ることができます。 |
<奈半利川上流域 1/50000 「馬路」 昭和8年修正> |
Q:二股橋(昭和15年) コンクリート2連アーチ橋。親柱四基付、南北擁壁附属。 |
文化庁のサイトには 「無筋コンクリート造として、近代における最大級の径間を実現した構造物であり,コンクリート技術史上,高い価値がある」 とあります。 |
路面はバラストを使用している。 RKC production 「魚梁瀬森林鉄道」(3:30)より |
R:堀ヶ生橋(昭和16年) 鉄筋コンクリート造の充複式単アーチ橋。 |
古い写真で見ると、竣工時に退避所はなかったもよう。 |
小島橋(昭和7年) 今回、奈半利川沿いは走っていませんが、2009/8/15 に甲浦から奈半利まで走った際、鉄道遺産とは知らずに撮った画像がありました。 |
<魚梁瀬地区 1/50000 「馬路」 昭和8年修正> |
核心部の魚梁瀬ですが、ダムに水没しているので遺構はありません(泣) |
1/50000「馬路」昭和8年修正(米スタンフォード大所蔵)に加筆 |
魚梁瀬(やなせ)森林鉄道は、1911年(明治44)から1942年(昭和17)にかけて建設され、全ての路線が廃止されたのは1968年(昭和43)。木材輸送に加え、一時は乗客や生活物資も運び、魚梁瀬杉で有名な林業を支えました。 2009年には旧魚梁瀬森林鉄道施設 9基5所(全14施設+附4施設)が、国の重要文化財に指定されました。森林鉄道として初の重要文化財です。 |
<奈半利町、田野町の沿海部 1/50000 「奈半利」 昭和8年修正> |
A:集積所(現在は山崎機械製作所)前のトンネル。 |
B:法恩寺跨線橋。 |
路線を跨いで、さらに上ると法恩寺の境内。 |
C:奈半利八幡宮の参道を横切る路線跡。 |
D:奈半利川橋梁跡。橋脚基部が残っている。 |
四国森林管理局「思い出の森林鉄道」より |
E:立岡(たちおか)第二号桟道(昭和8年)、田野町から奈半利川方面へ。 |
RKC production 「魚梁瀬森林鉄道」(3:30)より |
F:八幡山跨線橋。 |
安田川沿いに延びる路線跡。 |
<安田川中流域 1/50000 「奈半利」「馬路」 昭和8年修正> |
G:エヤ隧道(明治44年) |
安田川に接する桟道。 |
H:バンダ島隧道(明治44年) |
I:オオムカエ隧道(明治44年) |
J :明神口橋。昭和4年に木造から鋼トラスに付け替えられた。 |
(つづく) |
|
9月に入り、急に秋めいてきました。秋晴れの下、鳴門方面へ。 |
大毛島の先端、大鳴門橋の付け根あたり。明治32年測図、明治33製版の 1/10000地形図。明治期に鳴門の大縮尺地形図が作られたのは、「由井要塞近傍」のため。国防の肝が要塞だった時代がありました。大塚製薬潮騒莊(通称 "大塚御殿")の場所は田圃(陸田か)だったようです。 |
堀越橋からのウチノ海。 |
堀越と言う地名から開削された場所と推測できますが、明治32年には既に水路が通じています。「徳島県の地名」(平凡社)では「近世初頭に開削されたと伝えられる」とありますが、根拠の記載はありません。執筆者が誰かから聞いたのでしょうか(笑) |
今回、稜線の県道から離れ、初めてウチノ海まで下ってみました。 |
上り直して、小鳴門新橋で四国島へ渡り、北泊経由で帰路へ。 |
64.79km、3:57 |