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9月に入り、急に秋めいてきました。秋晴れの下、鳴門方面へ。 |
大毛島の先端、大鳴門橋の付け根あたり。明治32年測図、明治33製版の 1/10000地形図。明治期に鳴門の大縮尺地形図が作られたのは、「由井要塞近傍」のため。国防の肝が要塞だった時代がありました。大塚製薬潮騒莊(通称 "大塚御殿")の場所は田圃(陸田か)だったようです。 |
堀越橋からのウチノ海。 |
堀越と言う地名から開削された場所と推測できますが、明治32年には既に水路が通じています。「徳島県の地名」(平凡社)では「近世初頭に開削されたと伝えられる」とありますが、根拠の記載はありません。執筆者が誰かから聞いたのでしょうか(笑) |
今回、稜線の県道から離れ、初めてウチノ海まで下ってみました。 |
上り直して、小鳴門新橋で四国島へ渡り、北泊経由で帰路へ。 |
64.79km、3:57 |
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