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LOG ADVENTURE-e

LOG ADVENTURE-e
2024年購入。27.5 inch,21.8kg,8速。

DAHON K3

DAHON K3
2019年購入。14 inch,7.8kg,3速。

KHS F20-R451

KHS F20-R451
2015年、台北で購入。そのまま阿里山、塔塔加へ。2025年 マルセイユで退役。

KHS F20-T3

KHS F20-T3
2012年、台北で購入、そのまま中部横貫公路越え。

Bianchi Lupo

Bianchi Lupo
イタリア製と思いきや台湾製。基本パーツはSHIMANO TIAGRA。クロモリです。

KHS F20-T2

KHS F20-T2
2009年、台北で購入、そのまま一周。けっこう走れます。2019年、退役。

MARIN Pine Mountain

MARIN Pine Mountain
1992年 米国製。SHIMANO DEORE DX は25年間ノートラブル。2017年、退役。
 
 

マニラ~レガスピ

2019年2月17日日曜日

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 早朝のフライトでレガスピへ。空港からマヨン山が見えるはずですが今日は低い雲の中。
 マニラでは空港の中から出なかったので、レガスピが初のフィリピンの街。日曜日なので、自転車乗りも大勢見かけました。みなさん例外なくマウンテンバイクに乗っています。
 予約しているホテルに9時前に到着、ここでレンタサイクルを借りる手配をしています。シマノの初級パーツ ALTUS ですが、問題なし。結局、この自転車を4日間借りる(1000ペソ)ことにしました。
 市内散策。観光客向けと思っていたジープニーは完全に市民の足。
 2006年9月まで運行していたフィリピン国鉄南方本線。2004年11月にはレールの盗難が原因で大事故が起きました。
 左のプラットフォームは Daraga 駅。
 レガスピ駅。正式に廃線にはなっていませんが、再開は無理っぽいです。
 カグサワ教会跡(20ペソ)。1814/2/1の噴火で、町と共に破壊されました。
 レガスピ港。右手はマヨン山ですが、カメラを振っても今日は山麓だけ。
 派手なトライシクルと仕掛り品。昼食は揚げバナナ(3つで30ペソ)美味い。夕食はジョリビー(Jollibee)で満腹セット(125ペソ)、これは失敗。
 歩き 4km、自転車 30.2km。

成田~マニラ

2019年2月16日土曜日

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 成田空港(13:15)からフィリピン航空でマニラ空港 NAIA(17:30)へ。目的地はルソン島南部、レガスピのマヨン山。2012年はジェットスター成田-マニラ線の運航許可遅れ、昨年(2018年)は、1月25日の噴火で中止となりました。今回が3度目の挑戦です。
 下降しながらマニラ湾でターン。正面はバターン半島とコレヒドール島。
 ニノイ・アキノ国際空港 Ninoy Aquino International Airport 到着。久方ぶりの、自転車を持たない海外です。
 世界ワーストランキングNo.1を取り続けたと言うマニラ空港。乗り継ぎ便は翌朝4:55 なので空港内で仮眠を取ることにします。フィリピン人の友達のアドバイスは、乗り継ぎ便の出るTerminal3へ無料のシャットルバスで速やかに移動せよ。 ※ターミナル間は一般道をタクシー等で移動する必要があります。
 警備員に AIRPORT SHUTTLE 乗り場を教えてもらい(チップは無いのかと言われたが無視)、しばらく待って、別のターミナルから到着したそれらしいいバスに乗る。フィリピン人の乗客に「これは無料のシャットルバスか」と聞くと「そうだ」とのこと。
 ところが、国内線ターミナルが近づくと料金を集めだす有様。料金は20ペソと真っ当な金額だが無料だと言ってた乗客のおごってもらう。彼女達もわからなかったもよう。いきなりフィリピンらしさ満載です。
 Terminal2での仮眠は危険らしいが、新しいTerminal3は24時間営業の店もあり、仮眠も危険は感じませんでした。

Mayon Volcano

2019年2月15日金曜日

 いろいろな段取りがうまく行くと、フィリピンのマヨン山の麓へ行っているはずです。今回は、自転車なし。
 段取りがうまく行っても、天候は運次第。

国土交通省の「重ねるハザードマップ」を見る
 多摩武蔵野スリバチ学会の後、渋谷経由、五反田の宴席へ。渋谷は時間調整で、ヒカリエの「スカイロビー」。 初めてと思って来ましたが2回目でした。11F でスカイロビーを名乗るのはいかがなものか(^_^) ただし、当分渋谷の変化は続きます。
 工事中の銀座線渋谷駅。ホームは最終的に130m 足元(ヒカリエ側)に移動し、アーチ状の屋根直上にスカイデッキを配置するとのこと。
 スカイロビーにある 1/500ジオラマ。再開発が続く渋谷の最終型。
 五反田で散会後は、大井町線下神明駅まで散歩。水はけの悪い地域。
 山手線の下をくぐり、湘南新宿ラインを陸橋で越え、横須賀線と東海道新幹線をくぐり、再度湘南新宿ラインをくぐり、大井町線下神明駅到着。
 下神明駅のホームの上は東海道新幹線、下は(見えないが)横須賀線。
 <1/10000東京時層地図>
 明治末             大正末
 昭和戦前期           高度成長前夜
 歩き 1.9km。

標高グラフ付きの大きな地図を見る
 雨天決行があたりまえだのスリバチ学会。雪のちらつく中、参加者は40名あまり。副題は "住宅街に隠れた地形の「何か」を確認しに行く" 。今年2回目の多摩武蔵野スリバチ学会です。
 今回は、若い頃6年住んだ用賀がスタート。当時住んでいたワンルームマンション、健在でした。
 大山道追分。近年、まちおこしの一環で標石を設置しています。共に大山道ですが、左(北)は世田谷城を経由する古い道、右(南)は旧246となった三軒茶屋を経由する道。何気に専門家が一緒に歩いているのがスリバチ学会。今日は荻窪圭さん(ITライター兼古道研究家)がご一緒です。
 昭和初めに整備された用賀、上用賀。地理院の「明治期の低湿地」を重ねて見ると、台地の尾根を流れる品川用水、台地下には天神溜池。
 台地は陸上自衛隊用賀駐屯地(陸軍衛生材料廠の跡地)、平地は碁盤の目に整地されています。
 整地された道路の多くには水路(暗渠)が流れています。染工場(廃業)もありました。
 用賀本村稲荷神社にはオオカミの護符。武蔵御嶽講グループです。
 用賀中学校の近くには橋の欄干が残っています。矢沢川湧水池跡から着せ替え地蔵(!?)を経て、千歳船橋で昼食。
 午後の部は一旦環八へ。1991年の竣工の M2ビル。近年は木材を多様し、新国立競技場を担う隈研吾の(たぶん)過去恥部です。高知県檮原町の「ゆすはら座」以降、作風が変わりました。
 笠森公園と荒玉水道道路。笠森公園の地下には谷戸川が南流していますので、水の流れは地下で立体交差しています。荒玉水道道路は砧浄水場から野方配水塔までの直線道路、2011/6/4 に自転車で全線走っています。
 右が荒玉水道道路。周りは無視しての直線道路です。
 密蔵院前の水車堀。大正期の1/10000地形図には水車記号。
 NTTの電信柱には「牧場支」の番札。昭和37年に閉鎖された三井牧場の名残です。三井合名が大正7年に作った三井家向けの乳牛牧場で、1958年発行の 1/10000地形図「経堂」には、昭和40年図式でなくなった地図記号「牧場」が使われています。
(参考) 溝の口上空から千歳烏山方面。地理院色別標高図+明治期の低湿地+川だけ地形地図。多摩川の広い氾濫域。
 歩き 15.5km。

標高グラフ付きの大きな地図を見る
 埼玉スリバチ学会は2回目の参加。東川口駅に10時集合とのことですが、まったく土地勘がない地域。永田町乗り換え、東京メトロ南北線(相互乗り入れ)経由、埼玉高速鉄道線で向かうことにします。赤羽岩淵駅までは南北線、埼玉高速鉄道線は8駅、14.6 kmで、東川口駅の次が終点の浦和美園駅。東川口駅は「ガチャの聖地」を目指しているとのことですが、その所以は不明。
 総勢40名弱。「崖と谷と切通しの用水」を巡るフィールドワーク開始です。
 東は綾瀬川、西は芝川(見沼中悪水)に挟まれた台地。重ねるハザードマップにルートを描くと、台地の縁をたどったことがわかります。
 台地の高さは概ね15m、低地は4~5m。標高差は10mあまりですが境目は明確。ここの標高差はもっとありそう。
 1/50000「大宮」(昭和5年発行),「野田」(昭和6年発行)。歩いたのは主に埼玉県北足立郡戸塚(とづか)村。1956年に大門村、野田村と合併し美園村。1962年に旧戸塚村と旧大門村の差間・行衛が川口市に編入されています。南北に延びるのは日光御成道(岩槻街道)。台地を穿つのは見沼代用水東縁(ひがしべり)から取水した赤堀用水。
 西光院から台地の縁(へり)を無理くり南下。
 谷戸のあと。緩やかな窪みになっています。
 植木の産地として栄えた安行(あんぎょう)界隈。埼玉高速鉄道の戸塚安行駅も開設され、宅地化が進んでいます。
 一旦、綾瀬川の氾濫平野へ降り、赤堀用水に沿って上流へ。台地を開削し江戸中期に通水した赤堀用水、かつては竹林や照葉樹林の中を流れていました。
 両岸から宅地が迫る赤堀用水。
 見沼代用水東縁と赤堀用水取水口。用水の取り入れ口は "元圦(もといり)" と言うようです。
 天狗の鼻と呼ばれた台地の西肩には、東沼(とうしょう)神社。
 形のいい、富士塚(見沼富士)がありました。
 旧大門村の差間(さじま)、行衛(ぎょえ)は現:川口市、他は現:さいたま市。川口市の大字差間の読みは「さしま」。今日は境界協会ではありませんが、市境(舗装の違い)は見逃しません。
 最後は、東川口駅に戻り解散。帰路は、JR武蔵野線武蔵浦和駅経由、埼京線で帰りました。
 歩き 14.4km。

LABELS


mail: boso.cycle@gmail.com