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雨天決行があたりまえだのスリバチ学会。雪のちらつく中、参加者は40名あまり。副題は "住宅街に隠れた地形の「何か」を確認しに行く" 。今年2回目の多摩武蔵野スリバチ学会です。 今回は、若い頃6年住んだ用賀がスタート。当時住んでいたワンルームマンション、健在でした。 |
大山道追分。近年、まちおこしの一環で標石を設置しています。共に大山道ですが、左(北)は世田谷城を経由する古い道、右(南)は旧246となった三軒茶屋を経由する道。何気に専門家が一緒に歩いているのがスリバチ学会。今日は荻窪圭さん(ITライター兼古道研究家)がご一緒です。 |
昭和初めに整備された用賀、上用賀。地理院の「明治期の低湿地」を重ねて見ると、台地の尾根を流れる品川用水、台地下には天神溜池。 台地は陸上自衛隊用賀駐屯地(陸軍衛生材料廠の跡地)、平地は碁盤の目に整地されています。 |
整地された道路の多くには水路(暗渠)が流れています。染工場(廃業)もありました。 |
用賀本村稲荷神社にはオオカミの護符。武蔵御嶽講グループです。 |
用賀中学校の近くには橋の欄干が残っています。矢沢川湧水池跡から着せ替え地蔵(!?)を経て、千歳船橋で昼食。 |
午後の部は一旦環八へ。1991年の竣工の M2ビル。近年は木材を多様し、新国立競技場を担う隈研吾の(たぶん)過去恥部です。高知県檮原町の「ゆすはら座」以降、作風が変わりました。 |
笠森公園と荒玉水道道路。笠森公園の地下には谷戸川が南流していますので、水の流れは地下で立体交差しています。荒玉水道道路は砧浄水場から野方配水塔までの直線道路、2011/6/4 に自転車で全線走っています。 |
右が荒玉水道道路。周りは無視しての直線道路です。 |
密蔵院前の水車堀。大正期の1/10000地形図には水車記号。 |
NTTの電信柱には「牧場支」の番札。昭和37年に閉鎖された三井牧場の名残です。三井合名が大正7年に作った三井家向けの乳牛牧場で、1958年発行の 1/10000地形図「経堂」には、昭和40年図式でなくなった地図記号「牧場」が使われています。 |
(参考) 溝の口上空から千歳烏山方面。地理院色別標高図+明治期の低湿地+川だけ地形地図。多摩川の広い氾濫域。 |
歩き 15.5km。 |
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