| 1/200000「日光」昭和12年発行 <Stanford Digital Repository> |
| 始発で出て東北本線矢板駅着は 8:35。青春18きっぷなので鈍行で3時間半。この期に及んで真夏の日差し。 |
| 廃線跡をたどって西へ。汽車が上れる勾配は自転車でも上れます。1/50000「矢板」昭和6年発行。 |
| 矢板市街。南北にまっすぐ延びる通称「横断道路」とは立体で交差していました。高架部分の遺構。 |
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1929年 下野電気鉄道により開業。その後、1943年東武鉄道が買収し東武矢板線となる。1969年 廃線。 内川に架かる「とうぶはし」、橋は付け替えられていますが、橋名に残照が。幸岡(こうおか)駅跡。拡幅されていない廃線跡。 |
| 左下の窪地に線路と弥五郎坂トンネルがありました。並走する車道は切通し。 |
| 芦場駅のホーム跡。 |
| 道の駅で昼食。食堂もありましたが、(地元でとれないばずの)蕎麦の店だったので、直売所で地の物を購入。道の駅が数少ない食堂となっている地域は、地元の人が食べに来るので、却って地産品が少ない。 |
| 道の駅湧水の郷しおや「交流館」にあった東武矢板線の写真。 |
| 走れない廃線箇所。 |
| 東武鬼怒川線、新高徳(しんたかとく)駅に到着。矢板線遺構か。 |
| 鬼怒川中岩橋から。道谷原取水堰、1920年につくられた発電用取水堰。 |
| 橋脚の様な石積みは謎。取水堰とは別の建造物です。 |
| 今市からの旧日光街道を日光駅へ。 |
| 国鉄日光駅。1912年竣工。 |
| 駅舎2階の一等車客の待合室。 |
| 青春18きっぷなので、JR日光線、上野東京ライン、南武線で帰宅。 |
| 42km |
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旧陸軍が帝都防衛に使っていた調布飛行場のまわりには、いくつか掩体壕が残っています。 大沢1号掩体壕。 |
| 陸軍の飛燕を格納していました。 |
| 大沢2号掩体壕。 |
| 人が集まっているので何かと思えば、パラリンピック開会式の予行で、入間基地を飛び立ったブルーインパルスが上空に飛来。 |
| スカイツリーあたりでターンし3周回。 |
| 飛行場に隣接する近藤勇の養子(娘婿)となった近藤勇五郎の天然理心流「撥雲館」。道場建屋は1932年改築。 |
| 1966年(昭和41年)発行 1/25000。カントウ村は、1964年の東京オリンピックに際し返還された代々木ワシントンハイツの代替地。飛行場地区の返還は1973年、カントウ村返還は1974年。 |
| 民有地に残る掩体壕。 |
| 白糸台掩体壕。 |
| 帰路の稲城大橋から。 |
| 40km |
| 先月の両毛スリバチ学会「館林」でお誘いをうけ、5名で岩船山から太平山へ低山ハイク。 |
| 9:05 両毛線岩舟駅に集合し、先ずは岩船山高勝寺へ。600段の石段。有名な寺らしい。 |
| 場所は関東平野と山地の境目。足尾山地の最南端にあたります。 |
| 岩船山は標高172mですが、眺望良し。西方向。 |
| 江戸期から昭和40年ごろまで岩船石の採掘が行われていました。3.11で崩落した痩せた尾根。 |
| 清水寺(せいすいじ)で大休止の後、「関東ふれあいの道」を大中寺へ。東山道の案内板がありましたが、律令期のそれではなく近世のもののようです。 |
| 栃木市おおひら歴史民俗資料館。入館できず、雨宿りのみ。大中寺を経て、尾根の急坂を登り茶屋の並ぶ謙信平へ。昭和の観光地で再度大休止。 |
| 太平山神社(おおひらさんじんじゃ) |
| 太平山神社の狛犬は、左右とも"阿"。謂れがありそうですが不明。 |
| あじさい坂と呼ばれる1000段の参道を下ります。途中に水戸天狗党本陣跡がありました。 |
| 参道を下り、平地を栃木市街へ。栃木の名店、長栄軒で夕食のあと、旧栃木町役場。前回は改修工事中。今回はピカピカ。2-3年経った方が色が落ち着くと思います。 |
| 鳥瞰ルート(0:50) |
| 歩き 14km。 |


























































