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なでしこエキサイティングシリーズ(秋季リーグ)の日テレ・ベレーザ VS アルビレックス新潟レディース戦を見に、多摩市立陸上競技場へ。川崎側からだと最も山奥の県境を越えたところにあります。 15kmほどなので、お買い物車となっている MARIN Pine Mountain にデジイチを積んで観戦に行って来ました。 陸上トラックがありますが比較的ピッチは近く、わりと迫力のある写真が撮れました。 |
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試合は、上尾野辺率いる新潟が、岩清水梓、阪口夢穂を擁する日テレに 2:1 で勝利。 29.95km |
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このごろベトナム料理のお店も増えていますが、ここは "おこわ" 専門店。荻窪のYさんをお誘いして高円寺までプチ遠征してきました。 地図ルートの直線は、トラッキング・エラーではなく、多摩川北岸の砧浄水場から高円寺の南まで延びる荒玉水道道路です。 |
| 高円寺北口あづま通り商店街。高円寺純情商店街のすぐ近くです。 |
| ベトナム料理と言えばフォーですが、おこわも現地ではよく見かけます。私がいただいたのは、xôi gấc 。微妙な甘さを絶妙に現わしています。 |
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<現地で食べたおこわ> これは、ホーチミン市の南、サイゴン川をフェリーで渡ったTran Quang Dao 特産の虹色おこわ。派手な色ですが、全て天然素材とのこと。微妙な甘さがくせになり、2013/1/9 と 2014/5/17 の2回食べに行ってます。 |
| ホーチミンとミトーの中間、Tan Anでの"あずき"の"ちまき"。これも街の名物のようで、ちまきを売る店が並んでいました。 |
| ダラットからカムランへのQL27B(国道27B)の田舎町で、自転車で売り歩いているおばちゃんから買ったもの。これは、いまいちでした。 |
| サパから西に下ったQL4D と QL32 の分岐にある茶屋。まあまあの味。店のおばちゃんには、「この先、店が無いから、もう一個買ってけ」と言われたが買わなかった。言葉は通じないのに、何故会話できたのかは謎です。 |
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43.32km |
| ママチャリが無い分、普通に見かける自転車は質実剛健。センタースタンドが多かったです。 |
| リアディレイラーも質実剛健。 変速機のない自転車は、見なかった気がします。 |
| チャイルドトレーラー、何度も見かけました。特に珍しくありません。 |
| フランス、アヌシーのレンタサイクル屋。そこそこの観光地なら、借りられると思います。 |
| 現役の、自転車オートバイ。 |
| ラルプ・デュエズには、やはり高級車が並びます。ここは特別ですが、街中での高級車率は日本が突出しています。 |
| 私が走った地域での2~3星ホテルは、サイクルツーリストが2~3割なので、どこも自転車置き場がありました。庭の物置や地下室、空気入れもあります。 |
| 自転車屋。敷居の高いプロショップ、頑固親父の職人店等々、日本と同じです。 |
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けっこう近いんだ、と言うことに気付き、教科書に載っていた大森貝塚へ。 中原街道を旗の台で東に曲がり、伊藤博文公墓所を過ぎると大井。昔は町工場が多かったあたりです。 秋祭りの季節なので、先週の枚岡神社(河内国一宮)の秋郷祭に続き、大井鹿嶋神社の大祭に遭遇しました。河内では大勢いた若衆がまったくいません。 |
| 池上通りに転ずると、すぐ品川区立大森貝塚遺跡庭園。モース博士がいました。地層っぽい背景はコンクリートのダミーです。 |
| 汽車の窓から貝塚を発見、とのことなので、このあたりか。 |
| 次いで、大田区の大森貝墟(かいきょ)。品川区の遺跡庭園からは300mほど離れています。こちらは、碑のみ。 |
| 「貝塚碑<品川区>は1929年(昭和4年)11月に、貝墟碑<大田区>は1930年(昭和5年)に相次いで建てられた」とのことなので、揉め事があったのは間違いなさそうです。 |
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その後の調査で、1984年までには品川区側に軍配が上がっているようですが、 ◆品川区の姉妹都市:米国メイン州ポートランド市(1984年) モース博士の生誕地がポートランド市であるという、歴史的なつながりを機縁として交流を進めました。 ◆大田区の姉妹都市:米国マサチューセッツ州セーラム市(1991年) モース博士は、セーラム市にあるピーボディー科学アカデミーの館長でした。博士の結ぶ縁により昭和59年、大田区立郷土博物館とピーボディー博物館が姉妹館提携をし、それが発展して、平成3年大田区とセーラム市は姉妹都市となりました。 地名の大森は大田区なので、大田区側もやめられないようです。 帰路は、尻手黒川通りから川崎市、横浜市境の小径を走ってみました。局所的に急傾斜の山間部です。地図は1958年ごろの1/10000。 |
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41.17km |
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今回の関西行の最後は、急坂で有名な暗峠(くらがりとうげ)越えです。 明治以降は、船場の高麗橋東詰が起点となりましたが、元は難波と平城京を最短距離で結ぶ道とのことなので、大阪城の南に面する難波宮跡公園から走り始めます。大阪側では新しい道標や案内板が数多くありました。 |
| 明治期の1/20000地形図では、河内の田んぼの中を東西に走る街道が、河内国一宮の枚岡(ひらおか)神社まで延びているのがわかります。 |
| 御厨(みくりや)、水走(みずはい)と、由緒ある地名をたどって行きます。 |
| 東大阪市箱殿(はこどの)では、枚岡神社秋郷祭宵宮祭の「布団太鼓台」の村入(工場めぐり)が行われていました。翌日の宮入(神社への奉納)にかけて、たいへん賑わう河内最大の祭りのようです。 |
| このあたりは町工場が建ち並んでおり、太鼓台は全部で23台繰り出すとのことです。太鼓台には細かな細工が施されています。上に伸びる中空の座布団はホーンスピーカーの機能を持ちます。 |
| 神社を過ぎると噂通りの激坂が現れます。生駒山地の稜線へ真っ直ぐに延びる道。国道308号線です。 |
| 押さずに上ろうという気は、すぐなくなりました。 |
| 峠は石畳。峠の茶屋には、自転車乗りのノートがあり、坂バカの悲痛な声(笑)が多数残されています。 茶屋は奈良側なので、「うちは生駒の火祭」とのこと。なお、生駒神社の正式名は「往馬坐伊古麻都比古神社(いこまにいますいこまつひこじんじゃ)」 |
| 急坂を下り、大和郡山への峠を戻り直すと奈良盆地。垂仁天皇陵、平城宮跡を経て、木津で京都入り。 |
| 木津川を有料橋(自転車10円)で渡り、巨椋池干拓地を縦断。 |
| 最後は京阪国道(国道1号線)から八条通で京都駅着。初日と同じ新福菜館本店で中華そばを食べ、夜の新幹線で帰路につきました。 |
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79.31km、6:18 |
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「地図の旅愛好会」の巡検で訪れた大阪ですが、台風による滞留もあり都合4泊することになりました。
その間、自転車は乗らずじまい。巡検で歩いた船場あたりを含め40km以上歩いたことになります。 観光で来た記憶がなく、大阪城を始め、市内は初見となります。 |
| 大坂城天守は1665年焼失、1931年(昭和6年)再建。豊臣時代、徳川時代の天守が短命だったため、昭和の天守が最長。上町台地の先端部で、大川(旧淀川)を臨む北側は急坂。 |
| "逆走" 当たり前、の大阪ですが、駐輪場(最初の1時間無料が多い)は至る所にあります。 |
| 四天王寺、阿倍野あたり。 |
| 船場、梅田界隈。このあたり、背割地名です。 |
| 心斎橋、難波から通天閣。最後は、上町台地への口縄坂。 |
| 台風が来るので屋内施設の大阪歴史博物館へ行きましたが、暴風警報発令により臨時休館。風には強そうな建物に見えますが。クロネコは配達中、コンビニも24時間営業中なのに・・。しかたなく、鶴橋まで歩き焼き肉ランチ。ホルモンとんへは、貸店舗の札がかかっていました。 |














































