昭和14年の改修工事以前、目黒川の河口は、大きく北に屈曲していました。明治初年の迅速測図では、砂州に、猟師町、 利田(かがた)新地には 鯨塚のある弁財天が記載されています。
河口を短絡し埋め立てられたのがこの道路です。通り1本西側は旧東海道品川宿で、街歩きの善男善女でにぎわっています。
古い家は道路に背中を向けています。無理に付けた出入口があるお宅の裏(元は表だった路地)側には、立派な玄関がありました。
切り離された旧河口部は、小さな船溜まりになっています。
品川では、年に2回行っている同窓会。こちらは善男善女か否か疑わしいメンバーで、昼間から飲んでいました。
3.2 Km (歩き、大井町~品川)
品川心中ですね。
地図、興味深く拝見しました。当時の品川宿はだいぶ南よりと聞いていましたが、そうなっていますね。
鉄道は認識できていませんが、海岸でしょうか?
あっ、そうです。遠浅なので、飛び込んでも膝までです。
鉄道は、上の方の「乗車場」と書かれているところが「品川ステーシヨン」で、ここから北の路線は高輪海岸に沿った堰堤になります。今の東海道線と同じ場所ですが、痕跡はわかりませんでした。
人家を避けて路線を引くなんて、明治政府って、そう強権的でもないですね。
善男善女でないのは、2名だけだと思いますよ(笑)