市街地は淡河、大漢渓の自転車道をのんびり走ります。気温は25度、薄曇り、長袖Tシャツ、レーパンですが、汗ばむ気候です。今日は二・二八事件の休日なので、老若男女、自転車もウェアのさまざまですが大勢走ってます。お年寄りの多くは、ハンドルに付けた機材から音楽を掛けながら走っています。 |
大渓鎮からからは省道3号線。ひなびたローカル線の終着駅で静かな一夜を過ごそうと、省道から別れ盲腸線の内灣線の終着駅へ。 来てびっくり。原宿みたいでした。せっかくなので、自転車を押して内灣駅まで歩きましたが、宿探しはあきらめました。 |
行楽地の多い山間の省道3号線沿いは、どこも込み合っていそうなので、予定を変更して、3年前の好印象の残る南寮の温泉旅館へ。ところが、ここも満室。急遽、モーテルへ。台湾ではラブホに泊まることも珍しくありませんが、ここまで完全なモーテルは初めてでした。 |
116.77km |
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仕切り直しの台湾行は羽田空港発 9:20 となったので、夜明けを待って出発。まさかの雨となりましたが、気温は6度くらいあり予定どおり7:30到着。 ペダルを外し、背負ってきたダンボールで補強し輪行準備、チェックイン。 初のB787 ですが、感じた違いは窓が大きいことだけ。 定刻に松山機場到着。そのまま夜市で有名な士林へ。 LOHAS Bike の林店長と2年ぶりの再会。 |
夜は、合歓山の観雲山荘で計画外宿泊した時に知り合った、山男従業員Jayさん(元トレンドマイクロ)と、東海岸玉里の温泉で同宿だった東東牛肉麺のオーナーを訪ね夕食。再会づくしの一日でした。 旅先で知り合った交友が続くのは、ひとえに facebook のおかげです。 6.78km(+羽田へ24km) |
東京が大雪にみまわれた2/15に羽田~台北松山便が欠航となり、仕切り直しました。次の週末は台湾のはずです。 |
台北の地形図(1927年)を Google Earth に重ねてみました。台北駅北西の大同区(旧大橋町)がごっそり淡水河になっています。河川改修で数万人も移転したのでしょうか。 |
夜市で有名な士林も、公共機関が立ち並ぶ区域は基隆河の川筋だったことは読み取れます。台湾神社は、台北のランドマークである圓山大飯店になっています。 |
最新情報によると、狙らっていた橫貫公路の中で唯一未走の「南部橫貫公路」は、先月の土砂崩れで、また通行止めになっています。 この国道(省道)20号線は、昨年4年ぶりに復旧した道です。今回の主目的だったので残念です。 |
台湾の山岳道路は、厳しい自然環境に置かれています。下の画像は、初めて台湾を走った2009年に、阿里山からの新中橫公路で見た崩落した旧道です。 |
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先月、国立新美術館へ行った時、肝心の米軍ヘリポートの写真を撮り忘れていました。美術館の上の方から見えるはずなので、再訪します。 昨夜は雪、今朝も氷点下まで下がったので、氷結が心配でしたが、危なかったのは多摩川を渡る二子橋だけでした。 いつもの駒沢通り。関東大震災の復興事業で建築された広尾小学校に寄り道します。望楼は、当時併設されていた消防署のものです。 |
都心部の道も少しづつ覚えてきているので、地図を見るまでもなく国立新美術館到着。駐輪場から。 |
今日は、エスカレーターで上の方へ上ってみます。 |
ガラス越しに見える、正面中央が米軍ヘリポートです。 |
歩兵第三連隊兵舎のファサードが、少し保存されています。陸軍初の鉄筋コンクリート兵舎で、これも震災復興事業として 1928(昭和3)年に建築されました。 |
第三連隊兵舎は、上から見ると "日" の文字を形どった特徴ある建物です。1932(昭和7)年発行(左)と 1940(昭和15)年発行(右)の1/10000地形図を比べてみると、いわゆる戦時改描が行われていたことがわかります。 |
渋谷でモンベルと、アジアで人気のワンピース・グッズショップへ。最後は、用賀の "ラーメンたまき" で充実の一日のはずが・・、なくなっていました。替わりにあったのは、居酒屋キーハントー。ロゴに見覚えがあります(笑) |
52.67km |