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青春18きっぷで蔡くんと静岡へ。品川駅で合流し、熱海、沼津で乗り換え清水駅着は 9:26。 レンタサイクルを借り、清水港を横断する水上バスで三保へ。25分、400円。 |
湾内からしか見えないと言う、三保の松原越しの富士。 |
海軍飛行隊の訓練に使用されていた三保飛行場。空港法の分類では場外離着陸場。 明治45年に日本初の鉄筋コンクリートで建てられた清水灯台から御穂神社。この辺り、世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の一角。予備調査では除外を勧告された地域です。 |
レンタサイクル的には長距離を走り、久能山東照宮。日本の城郭に異常に詳しい蔡くんの話では、元は武田氏の山城だったらしい。 |
清水へ戻って自転車を返し、"河岸の市" で昼食。マグロ丼(1100円)、地魚丼(1200円)、いずれもカマ焼き付き。満足です。 |
遅い昼食後、JR東海道線5駅の用宗(もちむね)駅から大崩海岸へ。東海道の隘路で、宇津ノ谷峠(国道1号線)、日本平峠(東名、新幹線、東海道本線)の海側。 1971年のトンネル崖崩に断崖沿いの道は放棄され海上橋となりました。 |
2013年には路盤崩落。今回、崩落箇所を目指しましたが、崩落部を修復するのではなく、別の長いトンネルを掘っており、近づけません。薄暮の中、用宗まで戻ることになりました。 |
大崩海岸ドローン風動画 (58秒) |
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ボクシングの試合が終わり姫路に戻ったのが16時。青春18きっぷだと、東京まで帰れないので神戸泊。翌朝、湊川から神戸港を散策しました。 右の橋の上が、天井川だった元の湊川。明治末に会下山をくり抜いた新湊川に付け替えられました。 |
旧河道は昭和の繁華街、新開地。川底の地下も商店街。お隣りは金毘羅宮や遊郭街だった福原町。 |
明治43年測図、大正2年発行の地形図。付替えられた旧湊川は公園(たぶん原っぱ)で、新開地に店が建ち始めた頃。福原遊郭の街区が明確に読み取れます。 |
大正2年測図、昭和2年発行。繁華街が発展してきました。 |
昭和22年修正、昭和24年発行。空襲で焼け野が原となった後、進駐軍により大規模に接収されました。規則的に建屋が並ぶのは、兵舎でしょうか。 |
今の地理院地図。測量日、発行日と言う概念はなくなりました。 |
湊川神社。時代を下った江戸期に建てられた楠木正成の墓があります。 神戸駅は東海道本線と山陽本線の接点。D51が保存されていました。昔の駅構内はハーバーランド。 |
入港していた SEABOURN SOJOURN(32,346トン)、出港は今夕。 |
埠頭の震災の跡(モニュメント) |
旧居留地の日本郵船神戸支店(現大丸)、横浜正金銀行神戸支店(現神戸市立博物館)など。 |
神戸市役所1号館24階展望ロビーより。 |
明治43年測図、大正2年発行。 |
大正2年測図、昭和2年発行。 |
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JR徳島線の始発で阿波池田へ。もちろん青春18です。ここは鉄道輸送の集積地として栄え、かつては専売公社への引き込み線もありました。今は、広々すぎる駅構内。 |
今日は R32 を極力回避して走ることにします。三縄あたり。この辺、昔は右岸が国道で、バスも走っていたようです。車両通行止となっている大川橋の路面は板張りです。 |
山城の「旧川口郵便局局舎及び主屋」、洋館の寄棟屋根に和館の切妻屋根がT字に取り付く。地元のご婦人のお話しでは、山城は昔はハイカラな街、今は妖怪の街とのこと。 |
大歩危から右岸に戻り吉野川を高巻いて行きます。不思議に思った地名を確認すると「三好郡西祖谷山村は、三好市西祖谷山村に変更」。大字を「西祖谷山村」としたと言うことでしょうか。 |
吉野川へそそぐ谷を越えると高知県。高度が増してきます。 |
土佐岩原駅への下降路が難しく、岩原神社の前で道を尋ねようとすると。。。リアリズムに徹した人形でした。 |
岩原で左岸に転じ、桃原から国道を離れます。眺望はいまいち。豊永から再度右岸へ。四国銀行のミニ店舗(大田口代理店、ATM無し)のある大田口で左岸に渡り、豊楽寺(ほうらくじ)薬師堂を目指します。 |
今日のメインは <国宝>豊楽寺薬師堂。国宝にしては貧相ですが、高知県唯一の建造物の国宝で四国最古の建物。12世紀から風水害に耐えて、この山中に建っているのは奇跡的だと思います。 |
国宝より眺望かな。 |
帰路は大田口駅から輪行。 68.48km |
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寒さがぶり返すなか、坂本おひな街道へ。新道トンネルをぬけた後、旧道を折り返し、明治43年竣工の坂本隧道から坂本集落へ。(47秒) |
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「ふれあいの里さかもと」の "おひなバイキング" は、菜の花和え、クレソンの胡麻和え、酢の物、切り干し大根のたまご和え、わけぎのぬた、人参の白和え、しめじと大根おろし等々、抜群に美味しかったのは春蕾(しゅんらい)の天ぷら。来年も来ます。 |
坂本八幡神社。大きな神社です。ここが山間の中心地だったことを忍ばせます。 |
個性的な狛犬が大勢いました。江戸末期の嘉永、文久の紀年銘もたくさんあります。 |
復路は、杖立権現越えの錆びた標識があったので、山越えで帰ることにします。踏めないほどきつい坂はありませんが、緩い坂もありません。 |
路面は古いコンクリート舗装。路盤はしっかりしていますが、花粉症の人は来ない方がよさそうです。 |
標高500mあたりで視界が開け、阿南から和歌山まで見通せます。 |
稜線に出ると大川原からの道と合流し、峠は650mくらい。嵯峨川には青石。嵯峨天一神社の巨木は杉。地元の人の話では、根が死んでるので長くないとのこと。 |
60.17km |