標高グラフ付きの大きな地図を見る |
千葉・地図ラーの会の街歩き。山本少年は境界協会の「船橋市飛地」でご一緒した高校3年生、切れ者です。今日は彼の住む日本橋を案内してくれます。東京駅丸の内中央口 11:00 集合、総勢30名あまり。副会長が描いて、会長が印刷したオリジナル資料付き。まず常磐橋方面へ。 |
なんと、新日鉄ビルが更地に。大地の子(NHK,1995年)の撮影時は東洋製鉄でした。ガタイのしっかりしたビル、建てる技術より壊す技術が凄い。 |
首都高の地下化が決まった日本橋。2020年以降の着工なので先の話。これも、無くなると喪失感が出るのでしょうか? |
L字型の西堀留川と東堀留川、明治初めの1/5000 東京図測原図を重ねてみると。 川なのか堀なのか? 古石神井川の河口部説がありますが、飛鳥山からの南流説が正しいと言う前提なるので、随分無理があるのでは。別件ですが、この日のGPS 千鳥足です。 |
東堀留川の跡。 |
西郷隆盛屋敷跡に建つ日本橋小学校から鎧橋を渡り日本橋兜町。この辺りは丹後田辺藩邸跡地。 |
日本橋兜町は「丁目」の設定のない町名。1982年に住居表示実施なので随分遅い適用です。適用前は、日本橋兜町一丁目、日本橋兜町二丁目、日本橋兜町三丁目だったので、完全に逆張り。ちなみに、東京証券取引所の所在地は東京都中央区日本橋兜町2番1号。 |
迷走ぎみに茅場橋を渡り水天宮。半蔵門線が水天宮駅までだったころは座って帰るためによく利用しました。水天宮は二階建てビルの屋上にあり、地域とは隔離された感じ。裏手に住むおばちゃんの話では、他人(ひと)の持ち物、氏子もいないので馴染みないわ~。 |
蛎殻町公園で有馬家からの由来を語る山本くん。後輩にあたる1年生が4-5名参加しています。熱心にメモを採っていましたが、山本先輩目当てではなく、地理の自主研究課題のネタ探しとのこと。お茶女の地理に行ってしまいそうな勢いです。 |
箱崎は元々、隅田川の中洲。箱崎ジャンクション浜町出口の下は元の浜町川。浜町川は江戸初期に開削、戦災瓦礫で過半が埋められ、1974年に完全になくなりました。 |
川跡感満載。 |
ここで山本くんから地図問題。 「大正元年の地籍地図に表されている立原道造の旧家(日本橋区橘町3丁目1番地)を探せ」 ・・・背割型地名が街区に変わった場所だったので、それに気を取られてしまいました。みなさんをお待たせしてしまったようで恐縮です。 |
川の三叉路だった龍閑公園。中央区龍閑児童遊園と千代田区龍閑児童公園がくっついています。遊園と公園の違いは、都市公園法がらみか? ここから、龍閑川跡(中央区と千代田区の区境)を歩きます。 |
十思公園(伝馬町牢屋敷)に寄り道。吉田松陰が処刑された場所。石町(こくちょう)"時の鐘"(1711年鋳造)が移設されています。 |
十思スクエア(旧十思小学校)は、いわゆる復興小学校。銀座の泰明小学校や広尾小学校と違って廃校になっているので、通報される心配なく写真を撮れます。 |
昭和通りと首都高上野線の隙間を歩道橋で抜け中央区地蔵橋公園、千代田区地蔵橋西児童遊園。決して仲が悪い訳ではなさそうです。 |
まだまだ区境界の道は続きます。 |
東北・上越新幹線、山手線、中央線をくぐり、最後は龍閑橋跡で日本橋川に注ぎ終了。 |
歩き 14.3km。 |
標高グラフ付きの大きな地図を見る |
多摩武蔵野スリバチ学会の 「西荻窪から荻窪へ~標高50mライン番外編その1」 に参加しました。標高50mラインから40m付近のこのエリアは、松庵川・善福寺川・妙正寺川・桃園川の上流域にあたり、支流の暗渠と湧水池の妙正寺池や天沼弁天池・・と言うコースです。 自走で西荻窪駅へ。多摩川を渡ってから仙川までは、ほぼ一本道。仙川の商店街を抜け弁天橋を渡ると、長い参道が目に入ったので寄り道。 |
八幡神社。氏子は(元)調布市仙川町、(元)北野町、(元)三鷹市北野町とありました。 |
井の頭線、久我山の切通しを跨ぐ「ぎんざうばし」親柱に昭和8年造とあるので、井の頭線開通時に作られた橋です。 |
12:30 西荻窪駅からスタート。アーケードの仲道街にはピンクの象(三代目)。集合前に下を通りましたが気づきませんでした。標高50mラインを下ると暗渠となった松庵川。 |
一旦、標高50mラインを越え、井荻公園の斜面を下ると善福寺川。湧水が見られるとのことでしたが、想像とは異なるものでした。河床の割れ目からの確かな湧水、目視できました。右側の排水口は武蔵野市下水道の原寺分橋吐口のようです。 |
微妙な山(丸山) |
荻窪八幡神社。 |
神社隣りの、杉並アニメーションミュージアム。入場無料です。 |
今川家墓所から妙正寺池。落合橋は妙正寺川と井草川の合流点と思われますが、合流する角度は納得できるものではありません。謎です。 |
中央線脇の細長い空間。引き込み線跡かと思いましたが、古い地図・航空写真でも路線はありません。謎です。 |
西郊ロッヂングは、木造2階建、桟瓦一部銅板葺、13室のアパート。昭和6年に建てられた時は高級下宿。国の登録有形文化財。 |
荻窪駅近くの明治天皇荻窪御小休所で解散。当時の青梅街道に面した中田家の屋敷跡。長屋門は移築復元されたもの。 |
自転車を停めた西荻窪駅まで歩き。西荻窪では馬が歩いていました。 |
歩き 14.49km、自転車 34.05km、2h38m。 |
<2018/6/1 追記> 読んだ方から連絡をいただき、2つの謎、共に解けました。 ・妙正寺川と井草川の合流点直下の、画像左側からの排水口 大雨の時、下水処理場の処理能力を超えた下水は、この排水口から河川に直接放流している。 |
・天沼架道橋脇の細長い国鉄用地 「昭和38,9年頃用地買収した時の残地です。(道路に直接面していないため出入りの通路としていた)」「当時中野荻窪間の複々線高架化の突貫工事をしていて、今となっては懐かしいところです」とのこと。 |
標高グラフ付きの大きな地図を見る |
多摩武蔵野スリバチ学会の「多摩丘陵の公園と絹の道」 の後、辺見じゅんの「呪われたシルク・ロード」(1975年)を読み再訪。ダークサイド遣水かも。聖蹟桜ヶ丘近くの東寺方から大栗川に沿って上流へ。 |
運河のようなまっすぐな川ですが、明治42年製版の「八王子」1/20000 に重ねると、河川改修と言うより作り直した感があります。 |
永泉寺。本堂は、明治18年(1885年)鑓水絹商人八木下要右衛門の寄進によるもの。昭和38年茅葺き屋根を銅板葺に改修。 |
諏訪神社。明治10年に諏訪大明神、子の権現、八幡神社を合祀したもの。 |
拝殿の彫り。 |
本殿は建屋の中。京都の美山でよく見かけた型です。彫りの細かさ、深さ、鑓水商人全盛期のよすが。 |
石灯籠の寄進者は、豪商の八木下要右衛門と大塚徳左衛門。絹の道資料館は八木下の屋敷跡です。 |
大栗川に戻り、未成線「南津電気鐵道」の痕跡を探しましたが見つからず。見つかったのは、R大学助教授教え子殺人事件(1973年)の現場。大学教員の社会的地位が高かったころの事件です。 |
R16で御殿峠を越え、片倉側の慈眼寺前の通りから道了堂へ向います。道筋は尾根道(絹の道)に近いですが、宅地造成で様変りしています。 |
八王子バイパスを跨ぐ大塚山公園(道了堂)への陸橋は近づけず、結局、南側からアプローチ。 |
前回(5/12)写真を撮りそこねた道了堂跡。ここも○○現場です。 |
帰路は多摩ニュータウン通り(都道158号)。小山内裏公園を抜ける小山内裏トンネルは1990年の土木学会技術賞を受賞しています。 |
69.11km、5h05m |
標高グラフ付きの大きな地図を見る |
イタリア船籍の 「コスタ・ネオロマンチカ(57,150t)」が 13:00 に出港(離岸)するのでタイムラプスを撮りに横浜大さん橋へ。 |
往路は六角橋経由。2003年まで現役だった六角橋郵便局。 |
山下公園前では「横浜港カッターレース」風が強いので、スタート位置に着けない艇も。 |
象の鼻とコスタ・ネオロマンチカ。 |
総トン数と全長の比較。 コスタ・ネオロマンチカ 57,150トン 220.6m にっぽん丸 22,472トン 166.6m 飛鳥2 50,142トン 240.96m クァンタム・オブ・ザ・シーズ 168,666トン 348.00m |
定刻に釜山へ向けて出帆。タイムラプスは別途UPします。 |
48.66km、3h31m |