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台湾からAndrewが来たので、東京を案内。秋葉原の新しいホテルで合流。前回会ったのが2015年の台中なので、3年ぶり。 彼のリクエストで神楽坂へ。 |
JRで秋葉原から飯田橋。一旦秋めいた東京も夏がぶり返し暑い。Andrewは台湾で珍しい白桃、私は台湾ではありふれたマンゴー。 |
神楽坂へ行くなんて、日本に精通している台湾人っぽいが、どうも誰かに勧められただけのよう。 |
神楽坂では私のリクエストで中華そば田中屋。今月末で、惜しまれつつ閉店。 |
秋葉原へ戻り、通りがかりのメガネ屋。安いということで、その場で注文。検眼の日本語サポートが必要かと思ったら、台湾人同士でした。 |
秋葉原の標準ルートから、夜は私のリクエストで京都の新福菜館。東京ガイドでなくラーメン行脚に終わりました。 |
8/26。帰国日。Andrewは成田から、奥様と子どもたちは函館から。 |
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2015年(温泉街が残っていたころ)、2017年(ダム本体の本格工事が始まったころ) に続く3回目。いずれも青春18きっぷを利用。 今回は、長野原町のレンタサイクル社会実験で電動アシスト自転車を無料で借りられました。 |
不動大橋からもダム本体が目視できるようになりました。 |
吾妻川右岸、川原湯湖畔公園(湖畔でなく公園もまだないが)の展望所から。 |
2017年は歩きで24分かかった吾妻峡トンネル(1769m)を、電動アシスト自転車で抜け下流側へ。自転車を停め、山道を40分歩きダム正面の見晴台から。 |
1年前(2017年)の状況。 |
見晴台で遭遇したのはポケモンと旅する映像作家のCHテイルズさん。雑談で予防線を張ってからぬいぐるみを取り出します。 「秘密を知ってしまった。帰りの山道で突き落とされたりしないのか」との問いには「問題ありません。安心して帰って下さい」とのことでした。 |
吾妻峡トンネルを戻り、不動大橋から上流側。もちろん、水没エリアです。 |
今回、初めて長野原町市街まで足を延ばし長野原町役場。昭和4年竣工。西部劇に出てきそう。 |
道の駅八ッ場ふるさと館で自転車を返し川原湯温泉駅から吾妻線、湘南新宿ラインで帰宅。レンタサイクルでは40km近く走ったので、社会実験(GPS付き)の特異値となったかも知れません。 |
41.6km(含む歩き) |
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朝食前に赤倉温泉足湯公園へ。距離は1.9kmですが平均斜度7.1%、134mの上り。お湯でなく体が暑すぎて、そのまま戻ります。1816年(文化13年)開湯、日本唯一の藩営温泉(高田藩)だったらしい。 |
先ずは、北国街道に沿って南下。北国街道は、追分で中山道と分かれ善光寺を経て直江津へ続く脇街道。 |
関川宿の高田藩本陣跡。高田藩は専用の本陣を持っており、昭和末期まで現存していました。 |
関川関所跡。交通の要衝で、R18、上信越自動車道、しなの鉄道北しなの線(元の信越本線)が通じています。 (備忘) 高崎 - 横川 (JR信越本線) 横川 - 軽井沢 <廃線> 軽井沢 - 篠ノ井 (しなの鉄道線) 篠ノ井 - 長野 (JR信越本線) 長野 - 妙高高原 (しなの鉄道北しなの線) 妙高高原 - 直江津 (えちごトキめき鉄道妙高はねうまライン) |
信越国境を流れる関川。ただし、ここは右岸も越後(新潟県)。 |
黒姫山。標高2053mの成層火山。見えているのは外輪山で、中央火口丘は2046m。最高位は東関脇。 |
野尻湖。湖面は657m。湖畔は涼しかった。 |
柏原宿。本陣跡は信用金庫。 |
小林一茶旧宅(解体復元)から、古間(ふるま)宿、本陣跡は民家。 |
北国街道を離れ、坂中峠を長いトンネル(1390m)で抜け長野市へ。 |
長野市の気温は13時で 33.9度。松本まで走る予定でしたが、やる気を無くし青春18きっぷで輪行。 |
篠ノ井線姨捨駅のスイッチバックと車窓からの善光寺平。 |
松本からの小淵沢行が塩山行になっていたので喜んでいたら、この日は諏訪湖祭湖上花火大会。臨時列車も多数出ていましたが、塩尻、岡谷とどんどん混み合い下諏訪までは朝の通勤列車並の混雑。のんきに輪行袋をかかえ、ご迷惑をかけました。 |
43.10km |
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東京発 6:28 の北陸新幹線で飯山(8:19)へ。お盆の早朝とは言え、首都圏の電車は避けたいので東京駅まで自走、25.30km。 |
自走輪行も、ちらほら。北陸新幹線車両には、荷物置き場がありました。 |
飯山駅は2016年の北陸新幹線延長に合わせ2015年に運用開始。簡素な旧駅舎とは大違い。台灣高鐵の駅を連想しました。 |
隈研吾建築都市設計事務所 設計の「飯山市文化交流館なちゅら」 |
今日のルートは、斑尾高原を抜けて妙高の赤倉温泉への山岳ステージです。昭和5年修正測図の1/50000「妙高山」とルートをGoogle Earthに載せたもの。 |
9時の気温は飯山で 27.5度。斑尾高原への登坂は非常に厳しい上りになりました。涼しい高原の想定は大はずれ。 |
上りきったところで、両太ももの足つり。早目の昼食、大休止で、なんとか治まりまりました。30度近いと思いますが、建屋に冷房はありません。 |
一旦長野県に入り、関川を渡ると新潟県妙高市。妙高高原駅横の観光案内所にはレンタサイクルあり。モンベルのロードは半日2000円、街乗り車は200円。 |
妙高高原駅は、1969年(昭和44年)までは田口駅。 |
一休みして赤倉温泉の Restaurant Massa & Petit Hôtel des Eaux-Vives。ここで、2016年 TDFのMont Ventoux(フルームが足で走った日)で知り合い、マルセイユの自宅でごちそうになったYuka、Jean-Jacques夫妻と再会。Yukaさんの実家が妙高で3週間のバカンス中です。ジャージはその際、Jean-Jacquesにもらったもの。 Massaのオーナー夫妻は2015年までジュネーブでレストランをやってたので、4人でフランス語で盛り上がっています(泣) |
31.15km、2h54m。 東京駅まで 25.38km、1h32m |
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「千葉・地図ラーの会」2周年を記念してのトークセッションと音楽ライブ。仲間内の夏祭りとも言えますが、妙にタレントが多いスリバチ系。どんな進行となるのでしょうか。 雷雨が通り過ぎるのを待って荻窪まで自走。余り地図を見ずに適当に走ると、成城の台地を巻く道へ。 |
昭和7年発行の「溝口」1/25000 だと、田んぼ宅地の境目の道です。 |
樫尾俊雄発明記念館の段丘下入り口。樫尾四兄弟の一人で、カシオの技術を支えました。 |
荻窪駅南第二駐輪場に自転車を停め、会場の荻窪ルースターへ。 |
以下の写真は、塩澤一洋成蹊大学法学部教授の手によるもの。写真家としても有名で、スティーブ・ジョブズ氏を撮影した写真は、世界の雑誌の表紙を飾りました。スリバチバンドのドラマー、島田泰子二松学舎大学文学部教授のお友達です。 |
帰路は環八から荒玉水道道路。環八にも自転車マークが書かれていました。安心して走れ・・・ます。 |
38.16km、2h38m |