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オール千葉で歩く醤油の街、野田(秋の北総路探訪~野田)に参加しました。オール千葉とは、「千葉スリバチ学会、ブラツバキ、地図ラーの会」のことです。わかり易く例えると、Uインター、国際プロレス、藤原組の位置づけでしょうか。春日部で東武野田線に乗り換え、江戸川を渡り野田市駅へ。初野田線です。 |
総勢30名あまり。今日の前半は、野田ガイドの会の方の案内で歩きます。駅前に飲食店はありませんが、キッコーマンはあります。右下は元の貨物駅構内に建つ茂木本家美術館。 キッコーマンの前身、野田醤油は茂木六家、高梨家、堀切家の合同で発足。現在のCEOは、流山キッコーマン(万上本みりん)系の堀切家出身。 |
1/50000 「野田」昭和6年9月発行。千葉県営鉄道の野田町駅が開業し柏と結ばれたのは 1911年(明治44年)、当時は頭端式の終着駅でした。1929年の野田町 - 清水公園間延伸に伴い駅を移転。翌年には春日部(粕壁駅)まで繋がりました。1950年に野田市駅に改名。旧駅は1985年まで貨物駅として営業していました。 |
茂木七郎治邸、第一給水所(ポンプ小屋)、厳島神社弁財天から野田市民会館・郷土博物館。 |
野田市民会館は旧茂木佐平治邸。この日は、「刀剣乱舞」のコスプレ撮影会が行われていました。 |
次いで野田市立中央小学校。校長先生のお話を聴くことができました。1873年(明治6年)創立。戦後の最盛期には4000名を超える生徒数を誇った、歴史ある小学校です。校舎には、イタリアメディチ家を彷彿させる亀甲紋。茂木小学校と呼ばれていた時代もあります。 |
1928年(昭和3年)竣工の鉄筋校舎は、関東大震災の復興小学校をモデルに建てられました。近年の耐震工事も不要だったようです。 |
街道沿いには旧野田商誘銀行。1926年(大正15年)竣工。岡山のトマト銀行の大先輩です。経済産業省の近代化産業遺産「利根川流域等の醸造業の歩み」に、興風会館等と共に選定されています。 |
興風会館。1929年(昭和4年)竣工。国の登録有形文化財。 |
竣工時は、千葉県庁に次ぐ大建築だったらしい。野田がいちばん勢いがあったころか。後ろ姿も優美。 |
香取神社からは地元のKさんの案内で、まずは野田人車鉄道の痕跡。 |
大陸風廃工場。 |
江戸川堤防脇の桝田家住宅。水運が主体だったころの問屋、船宿。人車鉄道も通じていました。 |
低地の宅地の二車線ドンツキ。谷戸を盛土した清水台小学校。 |
国土交通省の「重ねるハザードマップ」 清水台小学校があるのは谷筋。座生沼(ざおうぬま)の跡地は地名がなかったのでしょうか、2006年に"桜の里一丁目~三丁目" となりました。 |
最後は、清水公園から金乗院。清水公園は旧野田商誘銀行を所有する千秋社が運営する民営の公園です。もちろんキッコーマンのグループ会社で、施設利用以外は無料開放されています。 反省会の後、清水公園駅から野田線で帰宅。 |
9.1km 歩き。 |
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