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野良スリバチ第一期最終回「7つの丘を越えていく、文豪ロマン巡り」に参加しました。12時スタートなので、集合場所の江戸川橋まで、目白から歩くことにします。 近衛邸跡から、相馬家(相馬中村藩主)の庭園だったおとめ山公園へ。 |
| 目白駅から南下。豊坂稲荷神社。近衛邸の車廻しにあったとされるケヤキ。"おとめ山"は乙女でなく御留め。元々は将軍家の狩猟場でした。谷戸地形を活かした斜面の公園で、地形を表した案内板があります。 |
| 崖線上からの公園。 |
| 山手線をくぐり神田川沿いに下って行きます。高戸橋から上流方面。左から神田川本流、高田馬場分水路、妙正寺川。全面暗渠の高田馬場分水路は、水を滞留させないためのバイパス。第二東名みたいなもの。 |
| 神田川にも魚道が。1997年に河床を改修して設置したもので、鮎の遡上が見られるようになったようです。 |
| 蛇行していたころの神田川。1910年(明治43年)発行 1/10000。 |
| 蛇行の解消は昭和初めには終わっていますが、豊島区と新宿区の区境は、今も旧河道のままです。 |
| 崖線下に肥後細川庭園。台地に永青文庫。水神社境内からの神田川。谷戸に椿山荘。上り切ると、丹下健三の東京カテドラル聖マリア大聖堂があり、位置関係に驚きました。 |
| 6.0km |
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| 境界協会の "都県境「葛飾柴又」重要文化的景観選定記念イベントに便乗!+柴又一周街歩き" に参加しました。柴又は、2012/8/23 に「柴又帝釈天を抜け、金町浄水場からは江戸川の土手」を走った(KHS F20-T3)記録が残っていますが、走り抜けただけ。歩くのは初めてです。 |
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重要文化的景観 :文化財保護法(2005年4月施行)で「地域における人々の生活又は生業及び当該地域の風土により形成された景観地で・・・欠くことのできないもの」と定義された景観。
1975年の文化財保護法改正で設けられた「伝統的建造物群」が、城下町、宿場町、港町などの歴史的な集落・町並であるのに対し、よりモヤっとした感じで「棚田や里山」が選ばれている。 2019年2月現在。関東では「利根川・渡良瀬川合流域の水場景観」と「葛飾柴又の文化的景観」の2ヶ所。 ちなみに、四国は棚田など10ヶ所。 |
| 2駅手前の青砥駅で下り集合場所の柴又駅へ向かいます。微高地の自然堤防と氾濫平野、旧河道の平らな地域です。 |
| 柴又が近づいても大きなイベントをやってる雰囲気が感じられず、場所を間違えたかと思いました。 |
| 柴又駅集合。先ずは自然堤防を歩きます。田んぼだった氾濫平野より微妙に高いはずですが、体感するのは難しいです。 |
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1/20000「千住」大正2年製版。帝釈天への参詣ルートが金町駅から人車鉄道だったころ。矢切の渡しは、上下の2箇所にあった。 葛飾郡は東京府、埼玉県、千葉県、茨城県にまたがる広大な郡であり、1943年の葛飾区誕生の際、「新宿(にいじゅく)区」も候補となりました。 |
| 新宿交通公園、東京都記念碑のある古録天神社、柴又八幡神社にある柴又の古名「嶋俣」碑。 |
| 旧河道の道路と住宅。 |
| 1926年8月竣工の金町浄水場。かつては「日本一まずい水道水」と評されましたが、現在はボトルウォーターの「東京水」として市販されています。 |
| 今日のメインは「柴又帝釈天プロジェクションマッピング」 |
| ですが、普通のライトアップの方がよろしいかと。 |
| 9.9km |
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スリバチ学会は12:30からなので、その前に新百合ヶ丘駅周辺の小田急線付替え跡を探索。 1974/6に開通した新百合ヶ丘 - 小田急永山。小田急本線との分岐のため、百合ヶ丘付近の線路の付替えを行いました。 (右)昭和42/10発行、(左)昭和53/2発行 1/25000「溝口」 |
| 新百合ヶ丘駅(1974/6開業)の北。1927年(昭和2年)年開通の小田原線は、地形に沿った線形で柿生へ向かっていました。 |
| 谷戸に沿った旧線跡地。 |
| 新百合ヶ丘駅の南。旧線の一部は、管理用車両の引き込み線になっています。 |
| 鶴川駅集合で多摩武蔵野スリバチ学会のフィールドワーク開始。総勢50名弱。先ずは、江戸末期に建てられた可喜庵。リノベーションの事例を兼ね、イベントスペースとして使われています。 |
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地形の成立ちがわかりやすい、国交省の「重ねるハザードマップ」。 鶴見川、真光寺川の合流点から造成された能ヶ谷町へ。 |
| 高台の住宅地。通勤がなければ住みよい町。 |
| 元の地形(明治末)は谷戸田と雑木林です。 |
| 真光寺川沿いの宅地。左は鶴川街道に高さを合わせるための盛土。 |
| 1968年前後に建てられた鶴川団地。昭和の高度成長期の典型的な団地です。 |
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金井代官屋敷跡から七面社と金井八幡神社。 七面社には、「金井村、奈良村、能ヶ谷村、片平村、麻生村、三輪村 右六ヶ村信者中」の銘。現在の行政区では東京都町田市(金井、能ヶ谷、三輪) 神奈川県横浜市(奈良) 川崎市(片平、麻生)。 金井八幡神、注連縄の縛り方が独特。 |
| 最後は玉川学園で解散。反省会の後、自転車を停めた鶴川駅まで1駅乗り、完全に酔いを覚まして帰宅。 |
| 歩き 11.1km、自転車 21.6km |
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| 池尻大橋駅から目黒川緑道を西へ。「せせらぎが戻った」と言うわけではなく、東京都下水道局落合水再生センターで高度処理された水を流しています。 |
| 目黒川を上ると、北沢用水と烏山用水の合流点。台地上には、学校、警察。低地に工場が多いのは、用水の水車を動力源にしていたのでしょう。 |
| 戦後すぐの航空写真。 |
| 右が北沢川、左が烏山川。 |
| 北沢川緑道を宮前橋へ。 |
| 環七建設中。1960年代始め。 |
| 宮前橋は北沢川に垂直に架かっていました。谷戸に代田小学校。小田急線で台地から分離された代田八幡神社は、環七で独立峰? に。 |
| 宮前橋の欄干。この角度は、元の位置のままかも知れません。 |
| 環七と代田八幡神社。 |
| 歩き 5.3km。 |
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二ヶ領用水の宿河原取入口から、多摩丘陵の東端の東高根森林公園、緑ヶ丘霊園を歩きました。 水路構成は複雑です。多摩川へ戻す「悪水吐」も数本あります。 |
| 用水際は何度も歩いていますが、尾根へ上るのは初めてです。 |
| 多摩川流域から平瀬川流域へ。もっとも、平瀬川は尾根を穿つトンネルで多摩川へ。 |
| 緑ヶ丘霊園の突端、作延城址から「後背低地・湿地」へ下る。 |
| 溝の口、下作延の水はけを良くするため、付替えられた平瀬川。 |
| 平瀬川旧河道。 |
| 平瀬川の「悪水吐」的トンネル。平瀬川新河道をサイフォンでくぐった二ヶ領用水は円筒で分水。水路のジャンクションです。 |
| 人為的な河川争奪で上流部を奪われた平瀬川旧河道。 |
| 15.3km |




















































