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大泉学園に所用あり。電車で行くには渋谷、池袋経由で台形の3辺、37Kmを乗車することになりますが、自転車だと北へ23Kmくらいです。 小田急線、南武線を跨線橋で越え、多摩川を多摩水道橋で渡り武蔵野台地を北上します。 東へ向かう世田谷通りから、北上する都道114号(武蔵野狛江線)へ短絡するため小径をくねくね走りましたが、この道は明治39(1906)年測図の地形図に載っている古くからの道です。今では住宅街の生活道路ですが、水田と桑畑の境に沿った道筋は昔のままです。 |
中央自動車道をくぐると、都道114号は直線道になり、吉祥寺通りと呼ばれるようになります。 |
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<今日が明治39(1906)年の秋の日だったら> 雑木林と桑畑の間の地道を抜けると玉川上水のほとり。武蔵野台地の窪みに井の頭池がありますが、木々に囲まれて見ることはできません。目に入る建物は井之頭学校(少年院)。東西に真っ直ぐ伸びるのは、国有化されたばかりの元の甲武鉄道、7年前に開業した吉祥寺駅前には、新しい人家が見えます。 賑わっている五日市街道沿いは、お寺や樹木に囲まれた農家があり、畑の区割りは、北西へ伸びる五日市街道に直角に交わっています。よく見ると、四谷まで水を流すため、玉川上水が微妙な尾根筋にあるのが分かります。 |
ようやく大泉村に到着。武蔵野の湧水を源流とする白子川が台地を穿っています。水車の記号があります。製粉に使っていたのでしょうか。川に沿って狭い水田が続きますが、水の無い台地は畑です。地図記号からは読み取れませんが練馬大根かもしれません。妙延寺、妙福寺、北野神社、村役場の横には本照寺が、今と同じ場所に建っています。 大泉学園駅が、武蔵野鉄道東大泉駅として開業したのは 1924年(大正13年)。戦前の学園都市構想は上手く行かず、街が発展したのは昭和40年代以降です。 |
48.28Km
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