何度も来ている成田空港ですが、空港外は全く未知のままです。空港開設前の地形図を手に、周辺を廻ってみることにします。 |
宿を出て5分、天神峰第二トンネルを抜けると、いきなり「第3誘導路粉砕」の立て看と狭い農地が現れます。空港敷地は二重の金網で囲われ、物々しい感じを受けます。 |
走っている道はB滑走路南の市道、東峰神社の案内板があったので、かなり変わった参道を進んでみます。 |
鳥居は新しく2005年1月吉日に建てられています。その横には皇紀二千六百年の記念碑。東峰神社と彫られた石柱の裏には航空神社の文字が。 非常に混乱しましたが、後日調べたところ、 ◆日本の民間航空黎明期に活躍した伊藤音次郎が、1937年(昭和12年)津田沼の伊藤飛行機研究所内に空難者を祀る "航空神社" を建立した。その後1940年(皇紀2600年)に記念碑を社友会が建てた。 ◆戦後、伊藤は東峰地区に入植。 "航空神社" も移設し "東峰神社" とし、開拓集落の守り神となった。 ◆新東京国際空港の建設に際し伊藤は用地売却契約を最初に結んだが、実態的に集落住民による共有地として管理されていた "東峰神社" は、空港反対運動の「闘争の象徴」として残った。(2003年、空港公団名義の登記を集落共有とすることで和解) ◆ "航空神社" は成田空港と無関係。闘争支援者とは異なり、集落住民は皇紀碑は是、と言うことか。 |
空港反対闘争の激戦地を過ぎると、風景は畑作地帯になります。空港建設前は、ずっとこの景色が広がっていたことでしょう。 |
昭和22年発行 1/50000 「成田」では、江戸期からの「牧」(放牧場)の跡である土塁が至る所に描かれています。 |
今でも残っています。地形図より、ずっと多くありました。 |
競走馬のシンボリ牧場。「牧」の流れを汲む訳ではありませんが、気候は適しているようです。 |
空港を南から回り、家族連れで賑わう「航空博物館」のとなりの「成田空港 空と大地の歴史館」へ。問題も残っていますが、途上国が成熟するために支払った失敗の歴史が刻まれています。 |
丘陵と谷津田を走り、けっこうな累積標高となりましたが、台地は計ったように標高40mでした。 |
49.19km、4:04 |
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