昨日とは反対側の、北上川右岸を走り柳津へ。昭和の始め、ここで北上川本流の付け替えが行われました。これ、別報します。 |
柳津(やないづ)大橋で北上川左岸に渡り、北上川大堰。津波はこの堰まで遡上しました。 |
飯野川橋で右岸に渡り、北上川と追波(おっぱ)川の間の土手を走ると、新北上大橋南詰。たもとの交通安全標語は、児童職員84名が津波にのまれた大川小のものでした。 |
河口近くの新北上大橋新北上大橋南詰からの大川小校舎。 交通整理をしていたオヤジの話では、 「今は何もないが、学校の周りは人家で、下流側は見通せなかった」 「(亡くなった)教頭先生が、ここまで来て津波到来を知り、逃げるよう叫んだ(と聞いた)」 「子供たちは裏山へ上る道を知っていたが、先生方は知らなかったのだろう」 |
校舎前からの新北上大橋南詰。 |
校舎の裏山方面。 |
校舎の現況。 |
現地を見て私が感じたことは、 「裏山へ上るのは簡単ではない。怪我人が出るかも知れない。津波は来ないと考え、県の危機対策課のハザードマップで避難所とされている学校にとどまっていたのではないか」 「距離的に、避難中に津波に襲われたのではなく、津波の到来を知って逃げ始めたが間に合わなかったのだろう」 その上で、 「生き残った児童への聞き取り調査のバウチャーを廃棄した石巻市教育委員会の行為は、愚行でなく悪事である」と断言します。 |
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