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女川から西へ。万石浦(まんごくうら)から旧北上川を渡り石巻市街。復興まちづくり情報交流館でお話を伺いました。
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石巻市は人口15万弱。旧北上川河口部に広い平野を持つ分、津波の被害も広範囲に及びました。
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日和山(ひよりやま)に建つ鹿島御児(かしまみこ)神社。
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白い円盤は石ノ森萬画館。公道ではまれな、30%の急坂がありました。
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14年ぶりの北上運河。石井閘門の近所の人の話では、川から津波が来たが、勢いは弱く被害は少なかったとのことです。海に近づくと運河の被害は甚大です。
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野蒜築港を目指しますが運河沿いには走れず、航空自衛隊松島基地わきからアプローチ。右手の塀のように見えるのは、飛行場の盛土です。
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2002年に作ったホームページの場所には近づけません。跡形も無くなっているのでしょう。
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近所の人(今は仮設住宅)の話では、前方に少し残った松林が海岸線。その先に高い堤防を作っている。
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津波の際は、家族と犬を連れて避難したが、犬のエサを取りに戻り津波に巻き込まれ、今鯉のぼりのある微候地へ逃げて助かった。・・微候地は、墓地になっています。
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北上運河の野蒜側。明治の遺構は姿を消しました。
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鳴瀬川を渡り、野蒜築港の対岸へ向かいます。仙石線は付け替えられ高架になっています。
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旧野蒜駅は、地域交流センターとコンビニになっていますが、駅構内は瓦礫を撤去しただけの状態です。
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野蒜駅、東名(とうな)駅が、新しく街を作る高台に移転し、2015年5月に仙石線全線の運転が再開されました。
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外国人観光客で賑わう松島を経て多賀城跡。残っているのは多賀城碑(762年)と地形です。ここに、津波は到達していません。
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仙台駅19:10のやまびこ54号で帰京。首都圏のラッシュを避けるため、大宮で乗換え湘南新宿ラインで武蔵小杉下車。最後は雨の夜間走行となりました。
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82.20km、5h48m、TOTAL 290.83km、自宅側を加えると 307km。
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