車山高原最終日。9月に閉館するペンション"あれあれ" ともお別れです。初めて来たときは冬のクロカン、以降何度もお世話になりました。 朝は、車山の肩まで高原サイクリング。ここは、日本有数の高原風景だと思います。 |
今日は予定を変更し、昨日走れなかった八ヶ岳周回の残った部分を埋めることにします。 昭和テイストの強い白樺湖まで下り、蓼科山の中腹をすずらん峠まで上って行きます。白樺の中を横切るのはビーナスライン。 |
秀麗な蓼科山も近づきすぎると少々平凡か。 |
別荘地を抜けR299へ。ここからは上らずに茅野への下り、昨年、麦草峠は走っているので、3回合わせて一周です(汗) 今年の暑さは高原でも容赦なく、湖東の台地まで下りると30度近い気温です。 今回の信州ツアー、食べた割りには、足はまわりませんでした。 |
茅野から輪行。小淵沢から、青春18きっぷで乗れるホリデー快速がありましたが、混みそうなので塩山乗り換えの普通列車で帰ってきました。 51.58km |
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奇妙なルート図は、麦草峠越えの八ヶ岳周回を断念し引き返したことを物語っています。 6時に標高1550mの車山を出発。967mの茅野市北山まで一気に下り八ヶ岳エコーラインへ。広域農道なので、潤沢な予算が投入された高規格道路です。 |
原村に入り、御柱道を走ると「綱置場」と呼ばれる御柱の山出し出発地点。ゆるい坂に見えますが、平均6%です。こう言うのが、効いてきます。 このあたり、信玄の棒道と平行しています。棒道跡はハイキング道になっていますが、道の遺構はありません。地積の境界として道筋が比定できるようです。 |
次いで八ヶ岳鉢巻道路(長野県道484号線)へ。この道、山梨県に入ると八ヶ岳高原ライン(山梨県道11号線)と呼ばれています。県をまたがる県道は、同じ番号にするものと思っていましたが、ここでは何故か違っています。 八ヶ岳の山襞にそっている道ですが、標高1150m~1450mを上り下りする道で、かなり足にきます。 |
小海線の2km程山よりを走っている道は、清里付近で鉄道に接しそこからはR141。再度長野県に入り野辺山のJR最高地点に着いたのは10:55。予定より大きく遅れています。 ブランチを食べ終わったのは 11:30。八ヶ岳周回の距離は128km。既に60km走っていますが、このまま周回を続けるには、麦草峠(2127m)を越える必要があります。 車山の宿に帰り着くには日没必至となるので、ここで無念のギブアップ。 |
悲しいことに、連泊する宿は 60km先、700m上。引き返すにも厳しい後半です。 白樺湖からの蓼科山。朝は霞んでいましたが午後は晴れています。 |
ルートラボでの予実比較 (予定した周回ルート)128.5km 累積標高 2816m (引き返したルート) 124.3km 累積標高 2396m 125.87km |
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暑すぎるので、信州へ。諏訪湖を囲む二社四宮を初めてまわりました。 |
始発で出て茅野まで輪行。まず茅野市にある諏訪大社上社前宮。 人も少なくひっそりした神社です。鳥居の後ろは祭政が行われた十間廊。 |
前宮三之御柱。 |
次いで、近くにある神長官守矢資料館。ここは3回目。諏訪大社は出雲から来た外来神ですが、戦いに敗れた地元の神様が諏訪大社の神長官を務めていました。資料館の設計は、ご近所出身の藤森照信です。 |
諏訪市に入り諏訪大社上社本宮。一番有名なのはここです。 |
諏訪湖畔を走り、市役所横の諏訪高島城。明治8年廃棄、昭和45年再建。 高島藩と言うと、領内に入った水戸天狗党に蹴散らされた印象が強いですが、江戸期を通じて百姓一揆がなかったとのことです。善政を行っていたのでしょう。 |
諏訪湖北岸にまわり、下諏訪町にある諏訪大社下社春宮。 |
最後は、諏訪大社下社秋宮。 |
下社秋宮は本殿の屋根が見えました。 |
諏訪地方は、小さな神社にも御柱が立っています。 |
湖畔の平坦サイクリングを終え、秋宮の裏手から1000mの登坂。霧ヶ峰まで補給点がなく、苦しい上りになりました。前日の諏訪湖祭湖上花火大会は記録的豪雨で中止になったようですが、この日も遠雷の鳴る中、日暮れ間近に車山の定宿に到着。 50.25km |
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とんでもなく暑い日、古い友人を訪ねて柏市の柏の葉へ。 元の地名は十余二(とよふた)。地名の由来は、江戸幕府の軍馬放牧場であった小金牧(こがねまき)へ明治初期に入植した際、12番目に移住したためらしい。 戦前は陸軍の柏飛行場、その後米軍の柏通信所を経て1979年に返還され、現在は東大柏キャンパスなどになっています。 |
5:45に出発。7:20には迎賓館前を通過。既に気温は30度を超えています。 |
荒川を千住大橋で越え、首都高の下を走り一旦埼玉県へ。中川を渡り千葉県に入り、複雑な三郷ジャンクションの中を埼玉県道116号線で抜けます。高速に紛れ込んだかと思う危険な道です。 |
官舎から東大柏キャンパス方面。日本基準ではそこそこですが、カルテクが長いご一家には残念な環境かも。 |
帰路は江戸川の土手を。多少風は涼しくなりましたが、拡声器から光化学スモッグ注意報が発令されたとの声が流れてきます。 |
押上から輪行する予定でしたが、汗まみれで鉄道に乗るのも気が引け、東京ナイトラン。快適とは行きませんが、日中よりはましです。 |
126.09km |
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江戸中期に開削された千川上水は、境橋で玉川上水から分水し、巣鴨まで続く約22kmの用水路です。用水としての役目を終え、ほとんどが暗渠化されましたが、上流の5km程は平成元年に再び開渠にされています。 |
流れているのは高度二次処理を施して再生した下水。小さな流れですが、なぜか大きな鯉がいます。 |
吉祥寺橋から上手(手前)は、練馬区と武蔵野市の境界となっています。 |
明治42年製版の地形図だと、北豊島郡石神井村と北多摩郡武蔵野村の境界です。上水が境界になったのではなく、微妙な分水界に境界線があり、そこに上水が開かれたのでしょう。 |
五日市街道に入ると、千川上水に沿って堂々とした並木が続きます。 |
程なく玉川上水との分岐の水衛所跡に到達。分水の流量は、玉川上水(3:2)千川上水、だったようです。 |
55.67km |