古道と言うと、人の踏跡から生まれた細くてくねくねした道を想像します。しかし、日本の国家が成立した律令期には、中央集権国家による直線的な計画道路が駅家(えきか/うまや)と共に各地に作られました。 東京の国分寺のように道路遺構が発掘された場所もありますが、多くは田畑に変わったり、生活道になったりして埋没しています。 香川県内の南海道は、阿波国府から大坂峠を越えた引田駅から、柞田(くにた)駅(観音寺市)へ東西に横断していました。 旧版地図(明治期の1/50000地形図)を拠り所とした「地図でみる西日本の古代」(日本大学文理学部叢書)によると、善通寺の甕井(みかい)駅から讃岐国府(坂出市府中町)を経て松本駅(さぬき市大川町)への直道(条里余剰帯)が南海道と比定されています。 今日は、善通寺まで輪行し、古代南海道を走ることにします。 |
走りだす前に香色山(157m)に上って、今日のルートを遠望。直道が見えるような見えないような(笑) |
道は、こんな感じです。江戸末期とかでなく、遥か昔の奈良時代のことなので、表面には全く痕跡はありません。 |
突然ですが、ここでうどん昼食。たまたま入ったお店「海侍」ですが抜群にうまい。その上、これで420円。本場讃岐のレベルは図抜けています。 |
坂出市に入り、讃岐国府跡へ。1925年に建てられた讃岐国庁跡碑。 |
ブログを書くため調べていると飛び込んできたのは、「香川県埋蔵文化財センターは6日、奈良、平安時代の行政の拠点機関「讃岐国府跡」の位置が確定したと発表した。国府跡が確定したのは全国17例目で、四国では初めて」(2013/2/6) 国府跡は讃岐国庁跡碑の場所でなく、開法寺跡東側の水田とのこと(汗) 近隣なので、偶然写真に入っていました。わかりにくいですが、画像中央の埋め直した地点だと思います。 |
2kmほど東へ走ると、讃岐国分寺跡。僧坊跡は珍しい遺構らしく、覆屋で囲って公開していました。 |
国分寺で角度を変えた南海道は、まだまだ真っ直ぐ伸びています。 |
もっともらしい気がしますね~。 |
松本駅比定地の側には、四国最大の茶臼山古墳(全長139m)が表れ、もっともらしさを強調します。 |
日暮れには間がありますが、列車の本数が少ないので、丹生駅(これは近代の鉄道駅)から輪行します。 |
70.52km
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標高グラフ付きの大きな地図を見る
全く知りませんでした.勉強になりました.手元の「讃岐通史」曽川寿吉に載っている讃岐歴史地図を見ると確かにご指摘の部分に街道が通っていますね.
「近代デジタルライブラリー」 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1020478
に「讃岐通史」(大正15年)が有ったので、
讃岐歴史地図と讃岐国条理概図(条理余剰路の凡例付き)のページを見ました。
今回のルート設定のネタ本「地図でみる西日本の古代」(2009/6)は、「最近の研究結果を元に・・」との触れ込みですが、基本概念は「讃岐通史」の2枚の地図にすべて書かれています!!
ちょっと、呆然としています。
それと、”手元の「讃岐通史」”って、smakさんの専門分野的には、あり得ないんですが(爆)